電源不要系同人サークル「Paper Entertainment Factory」のアナウンスと、適当な駄文。
どっちもごく最近観たのでいっしょくたに。
AVP(エイリアンvsプレデター)のストーリーはほんとに刺身の舟盛りについてる菊の花よりも無意味。お飾り以下。
まあ、たとえばリアル格闘家2人が主演の映画とかだとストーリーはお飾りで、その2人のバトルが充実してれば良い、というのはたしかに正しい。
が、優れたストーリーがくっついてたらダメってこともないだろう?素晴らしいストーリーやサスペンスや神展開のせいでバトルが霞んでしまいました、って事例はないだろ、さすがに。
AVPのストーリーは、エイリアンとプレデターの対戦を実現させるための、最低限納得しうる設定を作り、それをたいした料理もせずにごろっと皿に乗せて出したみたいな代物だった。
「ストーリーなんて最初から期待すんなよ」という大人の意見を聞き入れて、ストーリーについてはこれぐらいで。
じゃあ肝心のバトルはどうか?というとこれも疑問が。プレデターのもっとも特徴的な装備である光学迷彩はエイリアンには効いてないっぽいし、兵器というより「スポーツハンティング用品」である近接武器・投擲武器でわりと愚直にわたりあうしかない模様。で、十分なボリュームがあるバトルは一回だけ、あとは2回ほど戦って、残りは爆弾で一掃・・・って、それ設定と照らし合わせても何か変じゃね?AVP2はプレデターの「プロのハンター」がエイリアンに翻弄されまくる映画らしいが、AVP1でも十分プレデターは馬鹿っぽいぞ。
さて、ミスト。
パニックものやクライシスものが「極限状況における人間の心理と行動を描く」ものとすれば、これはまさにその正統派であると言えよう。特に極限状態×群集心理×宗教=最悪、という図式を描き出した箇所には「人間本来の善性」とかいう甘っちょろい理想論にヒビを入れるに十分な表現力がある。
それに対して、ホラーは映像・演出・設定等の全てを使って恐怖そのものの表現を突き詰めようとするものだと思うので、これはホラーと呼ぶにはいささか対象が分散している感がある。
それ以外に特筆すべき点としては、苦渋の選択・・・という表現がまったく生ぬるいとしか言えないような、身をちぎられるような思いをしての決断が報われないという結末の救いのなさ、かな。こりゃー後味悪いわ。
ついでに言うと、その救われなさはこの映画の「パニックもの」という側面に必須な要素では全く無い。
それはつまり監督がこの救いの無さ、後味の悪さをこの映画を構成する重要な柱として認識しているということで。
実際、この結末がなければ本当に「極限状態×群集心理×宗教=最悪」しかこの映画の見所はない、かも。
そりゃこの結末を変えろって言われればスポンサーのオファーも断るよなぁ。
AVP(エイリアンvsプレデター)のストーリーはほんとに刺身の舟盛りについてる菊の花よりも無意味。お飾り以下。
まあ、たとえばリアル格闘家2人が主演の映画とかだとストーリーはお飾りで、その2人のバトルが充実してれば良い、というのはたしかに正しい。
が、優れたストーリーがくっついてたらダメってこともないだろう?素晴らしいストーリーやサスペンスや神展開のせいでバトルが霞んでしまいました、って事例はないだろ、さすがに。
AVPのストーリーは、エイリアンとプレデターの対戦を実現させるための、最低限納得しうる設定を作り、それをたいした料理もせずにごろっと皿に乗せて出したみたいな代物だった。
「ストーリーなんて最初から期待すんなよ」という大人の意見を聞き入れて、ストーリーについてはこれぐらいで。
じゃあ肝心のバトルはどうか?というとこれも疑問が。プレデターのもっとも特徴的な装備である光学迷彩はエイリアンには効いてないっぽいし、兵器というより「スポーツハンティング用品」である近接武器・投擲武器でわりと愚直にわたりあうしかない模様。で、十分なボリュームがあるバトルは一回だけ、あとは2回ほど戦って、残りは爆弾で一掃・・・って、それ設定と照らし合わせても何か変じゃね?AVP2はプレデターの「プロのハンター」がエイリアンに翻弄されまくる映画らしいが、AVP1でも十分プレデターは馬鹿っぽいぞ。
さて、ミスト。
パニックものやクライシスものが「極限状況における人間の心理と行動を描く」ものとすれば、これはまさにその正統派であると言えよう。特に極限状態×群集心理×宗教=最悪、という図式を描き出した箇所には「人間本来の善性」とかいう甘っちょろい理想論にヒビを入れるに十分な表現力がある。
それに対して、ホラーは映像・演出・設定等の全てを使って恐怖そのものの表現を突き詰めようとするものだと思うので、これはホラーと呼ぶにはいささか対象が分散している感がある。
それ以外に特筆すべき点としては、苦渋の選択・・・という表現がまったく生ぬるいとしか言えないような、身をちぎられるような思いをしての決断が報われないという結末の救いのなさ、かな。こりゃー後味悪いわ。
ついでに言うと、その救われなさはこの映画の「パニックもの」という側面に必須な要素では全く無い。
それはつまり監督がこの救いの無さ、後味の悪さをこの映画を構成する重要な柱として認識しているということで。
実際、この結末がなければ本当に「極限状態×群集心理×宗教=最悪」しかこの映画の見所はない、かも。
そりゃこの結末を変えろって言われればスポンサーのオファーも断るよなぁ。
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