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電源不要系同人サークル「Paper Entertainment Factory」のアナウンスと、適当な駄文。
三国志で天下分け目の大戦といえば「官渡の戦い」「赤壁の戦い」の2つであろう。前者の一方の大将が袁紹である。
wikipediaでは「多くの三国志創作では優柔不断な暗君とみなされている」と書かれている袁紹だが、優柔不断というよりは「リスクのある選択、労力のかかる選択、迅速な対応を要する選択を嫌う性格」というべきで、暗君というよりは凡将というべきだろう。
民衆に対してはそれなりに仁政を施したようであるし、異民族との間に悪くない関係を築いていたようなので、単純に暗君とはいえまい。しかし、上記のようなローリスク志向はとてもではないが乱世を制して天下に号令する英雄の器ではない。袁紹の行動を追ってみると、才気の煌めきを感じさせるような選択はまったく見当たらないのだ。乱世にあっては、このような人物を大将に据えていた勢力は衰亡するしかないだろう。

袁紹は自分の手を汚さず、自分の兵を損なわず、他人を動かしてその成果だけを自分が得ることを好む。なんでも自分でやろうとしてしまう曹操とは正反対の性格といえよう。
そのわりに、部下に仕事を命じても信用はせず、家臣の忠言を嫌い、阿諛追従する者を重用した。袁紹が部下に意見を求めるときは、自分がやりたいと思っていることがあってその賛同が欲しいときであり、反対意見を述べられると不機嫌になる。袁紹の下には当時の最高水準の知者とされる田豊と沮授がいるが、諌言を繰り返し疎まれた末に失脚している。
暗君の代表であるかのように扱われている人物、といえば劉禅であるが、諸葛亮が生きている間は諸葛亮にやりたいようにやらせていたぶん、劉禅のほうが部下の扱いについては度量があったとすら思える。
功臣である張郃の献策への対応もいかにもまずい。袁紹軍の兵糧集積地である烏巣を曹操が襲撃しているという報が届いたとき、張郃は烏巣を死守すべく全力であたる策を献じたが、袁紹は曹操のいない本陣を攻める策を採用し、その本陣攻めを張郃に命じた。これはまともな神経とはおもえない。張郃が死力を尽くして戦い本陣攻めに成功したら、烏巣死守を主張した張郃は間違っていたことになるからだ。主は部下の力量を最大限発揮できるよう振舞うべきで、部下の力量を損なう差配をした袁紹は愚かというほかない。
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