電源不要系同人サークル「Paper Entertainment Factory」のアナウンスと、適当な駄文。
18禁同人誌のアーキタイプの中に、読者の感情移入用の「特に作品中のどのキャラというわけではない、誰でもないが誰でもありうる男」を登場させてアニメキャラなりゲームキャラなりと恋人同士のようにいちゃいちゃラブラブする内容のものがある。
わかりやすくいうと「そのアニメなりゲームなりのキャラを攻略対象にした純愛系のエロゲーを作ったと仮定して、そのHシーンの部分だけ切り出した」ような内容。
どうも、主人公なりメインキャラなりに男キャラがいない作品だとこういうアーキタイプが出て来やすい模様。
らき☆すたとかあずまんが大王とか。
まあそれはともかく。
こういう内容の同人誌および作者からは強烈な童貞マインドを感じる、と例会で述べたらどうもよく理解されなかったようで。よってこの場でもう少し掘り下げてみようと思った次第。
さて、こういう内容で同人誌を書くというのはどういう意識が反映されたものであるかを考えてみる。
1)純粋にこういう内容が好き。
2)自分がキャラに対して抱いた情欲をぶつけるための妄想内においても、きっちり恋人として付き合ってHするというプロセスを経るべきであると思っている。
3)こういう内容のものが売れると考えたから。
とりあえず3は除外する。というのは、こういう内容のものは単純なエロ重視の本に比べて単位作画量あたりのエロスに劣らざるをえず、数を売りたいだけなら労力に見合わないからだ。
1も、「こういう内容のものが好き」という嗜好を生じさせる土壌としての意識が存在するはずで、それはやはり2と同質のものであろう。
単に和姦好きというだけなら感情移入用の無名主人公ではなく男のサブキャラを起用してもいいはず。
あくまで作者(=読者)が自分自身を最大限感情移入できる対象を用意するのは、その理想的な妄想に没入するためにほかなるまい。
では、妄想内においてもHに至る前にまず恋人同士になるという正式な手続きを踏まんとするその律儀さは何に由来するものか。
モラル・・・もともと性関係全般に律儀な性格だから?
キャラ愛ゆえ?そのキャラにはただれた性関係を持たせたくないし持ってほしくない。あくまで幸せな形で、誰かに後ろ指を指されたりすることのないまっとうな形での性関係を持ってほしい、ということか?
答えはそれらすべてが適当な比率で混合したものだろう。
そして、それこそがFKが童貞マインドと呼んだものである。
ここまで順を追って述べてきたことで、なんとなくわかってもらえたのではないだろうか?
言うならば、乙女チックの男版。自分の心の中にある「対象の異性のイメージ」というものを大いに重視し、性的なことに関してはある種潔癖ともいえる傾向を持つ。
この2つの傾向は、「繰り返される想像の中で美化されたイメージが固まっていく」ことで強化されるので、「未経験であるがゆえに想像の余地が残っている」ことの意味は大きく、童貞性(英語のvirginityと同じく、性別を問わない)と正の相関性を持つ。
ここまで書いてきたが、FKにはこれを貶める意図は全くない。より強力で純度の高い妄想が生み出せるなら大いに結構。そういう精神エネルギーは創作力の源になる。物事についていろいろ考えたり想像したりすることが癖づいていないと活発な精神的活動は行えない(ただし、「リアリティの欠如」という問題がありうるから適当な段階で経験することも創作活動を行うにあたり必要なことかもしれない)。
やはり、バブル期あたりから広められた、恋愛関係を商業利用するためのプロパガンダによって刷り込まれた「女にもてない男は負け犬」という価値観⇒童貞に対するネガなイメージが、童貞マインドという表現にも不当にネガな印象を持たせ、言いたいことが伝わらなかったのだろう。
ネガなイメージに冒されていない語を持ち出してきて、清童マインドとでも呼ぶか?それとも清童チック?どうもしっくりこないな。
わかりやすくいうと「そのアニメなりゲームなりのキャラを攻略対象にした純愛系のエロゲーを作ったと仮定して、そのHシーンの部分だけ切り出した」ような内容。
どうも、主人公なりメインキャラなりに男キャラがいない作品だとこういうアーキタイプが出て来やすい模様。
らき☆すたとかあずまんが大王とか。
まあそれはともかく。
こういう内容の同人誌および作者からは強烈な童貞マインドを感じる、と例会で述べたらどうもよく理解されなかったようで。よってこの場でもう少し掘り下げてみようと思った次第。
さて、こういう内容で同人誌を書くというのはどういう意識が反映されたものであるかを考えてみる。
1)純粋にこういう内容が好き。
2)自分がキャラに対して抱いた情欲をぶつけるための妄想内においても、きっちり恋人として付き合ってHするというプロセスを経るべきであると思っている。
3)こういう内容のものが売れると考えたから。
とりあえず3は除外する。というのは、こういう内容のものは単純なエロ重視の本に比べて単位作画量あたりのエロスに劣らざるをえず、数を売りたいだけなら労力に見合わないからだ。
1も、「こういう内容のものが好き」という嗜好を生じさせる土壌としての意識が存在するはずで、それはやはり2と同質のものであろう。
単に和姦好きというだけなら感情移入用の無名主人公ではなく男のサブキャラを起用してもいいはず。
あくまで作者(=読者)が自分自身を最大限感情移入できる対象を用意するのは、その理想的な妄想に没入するためにほかなるまい。
では、妄想内においてもHに至る前にまず恋人同士になるという正式な手続きを踏まんとするその律儀さは何に由来するものか。
モラル・・・もともと性関係全般に律儀な性格だから?
キャラ愛ゆえ?そのキャラにはただれた性関係を持たせたくないし持ってほしくない。あくまで幸せな形で、誰かに後ろ指を指されたりすることのないまっとうな形での性関係を持ってほしい、ということか?
答えはそれらすべてが適当な比率で混合したものだろう。
そして、それこそがFKが童貞マインドと呼んだものである。
ここまで順を追って述べてきたことで、なんとなくわかってもらえたのではないだろうか?
言うならば、乙女チックの男版。自分の心の中にある「対象の異性のイメージ」というものを大いに重視し、性的なことに関してはある種潔癖ともいえる傾向を持つ。
この2つの傾向は、「繰り返される想像の中で美化されたイメージが固まっていく」ことで強化されるので、「未経験であるがゆえに想像の余地が残っている」ことの意味は大きく、童貞性(英語のvirginityと同じく、性別を問わない)と正の相関性を持つ。
ここまで書いてきたが、FKにはこれを貶める意図は全くない。より強力で純度の高い妄想が生み出せるなら大いに結構。そういう精神エネルギーは創作力の源になる。物事についていろいろ考えたり想像したりすることが癖づいていないと活発な精神的活動は行えない(ただし、「リアリティの欠如」という問題がありうるから適当な段階で経験することも創作活動を行うにあたり必要なことかもしれない)。
やはり、バブル期あたりから広められた、恋愛関係を商業利用するためのプロパガンダによって刷り込まれた「女にもてない男は負け犬」という価値観⇒童貞に対するネガなイメージが、童貞マインドという表現にも不当にネガな印象を持たせ、言いたいことが伝わらなかったのだろう。
ネガなイメージに冒されていない語を持ち出してきて、清童マインドとでも呼ぶか?それとも清童チック?どうもしっくりこないな。
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