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電源不要系同人サークル「Paper Entertainment Factory」のアナウンスと、適当な駄文。
まずまず面白かった。FKにとってSFはセンスオブワンダーを感じさせる内容であればその時点で及第。
あとはエキサイトメントとテーマ性だが、前者はやや低め、後者はこの著者らしくて好し。
イーガンはSFを通じてアイデンティティ問題を語り、伊藤計劃はSFを通じて人間社会の問題を語る、というところか。イーガンと並べて評価しているあたりで評価の程度はお察しいただきたい。
・個人の肉体は貴重な社会的リソースであり健康至上主義、っていう世界なのだが、さすがに未来像としてはありそうにないかな。SF的舞台装置として了解。
・アルコール飲料の禁止を明文化しないで「場の空気」で実質的な規制を行うコミュニティが多数を占める、というの設定はどうなんだろ。日本人らしい発想のような気がする。アチラでは早々に明文化しそうなイメージが。このへんは相互監視とお仕着せの「優しさ」に基づいた道徳律にがんじがらめになった世界の病み加減の表現の一部なのでやっぱり「そういうもの」として了解してはいるが。
・さて問題の、その場しのぎな進化の産物である意識を「治療」したら全ての悩みはなくなり、人はあらゆる選択から自動的に最適解を選び取るようになり、恍惚とした幸福感に満ちた存在になるかどうか、だが。
作中世界に提示されていたガジェットだけでは多分無理だな、と思う。
というのは、「あらゆる選択から自動的に最適解を選び取る」というところに無理があるからだ。そうするには人間の行動内容はあまりにも多岐にわたっており、とりまく状況はあまりにも複雑すぎる。判断に必要な全ての情報が明らかになっていない限り最適解は選べない。仮に、手持ちの情報だけの範囲で常に最適な選択をする、としても、各情報についての評価の重み付けは非常に難しい。それが完璧に出来るとしたらそれは超越者の知性を備えているといって過言ではなく、意識を「治療」するといったレベルの話ではなくなる。
仮に、世界人類が全てニューラルネットワークでつながり、タイムラグなしで全ての知識を共有し、評価関数も共有していれば、個々の人は自動的に最適解を選べるだろう。それが幸福かどうかは、多細胞生物の個々の細胞が幸福かどうかを問うような話になりそうだが。
「寄生獣」のラストのほうで後藤に取り込まれたミギーが、全体の一部として機能している自分が意外なほど心地よかったと感想を述べていたが、ありうるとすればそのような幸福感なのかもしれない。
まあその幸福感とやらも、つきつめれば化学物質の濃度や電気信号によるものにすぎず、そこまで掘り下げるとイーガンお得意の世界に突入してしまうので、このへんにしておこう。
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