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電源不要系同人サークル「Paper Entertainment Factory」のアナウンスと、適当な駄文。
銃夢ラストオーダー12巻を買って読んだ。
別にそんな重要な箇所ではないが、Dr.ヴァレスの「高度に完成された社会の中では人間は自らすすんで家畜化する。私は己に形作られた道徳律を破壊し、悪を為すことで自らの自由意思の存在を証明する」という主張に思うところあって一文を。

およそ世の中にある法律・常識・道徳・価値観といったものには、それを守ることで誰かが有形無形の利益を得るがゆえに意図的に繰り返し言及され、広められてきた側面がある。宗教はそれらの要素を包括して持つもので、宗教によって民衆を支配した国家が歴史上多くみられることはその端的な例だろう。
つまり、誰かが持つ常識・道徳・価値観は、別の誰かにとって都合のいい考え方を植えつけられたものにすぎない、という可能性がある。流行を追う価値観、大量消費の価値観などは広告戦略に乗せられた結果である可能性が高い。メディア戦略、広告戦略に乗せられやすい層を揶揄して「スイーツ(笑)」という表現が出来たりするご時世だ。メディアリテラシーが低く、クリティカルシンキングができない人間は頭の中身ごと家畜化される恐れがある。
ここまではいい。
そのメディアリテラシー、クリティカルシンキングが極まると、「誰かの意図どおりに動くこと、誰かの利益になる行動をすること」自体を嫌うようになり、「人間も所詮遺伝子の乗り物だと?じゃあ遺伝子が望むことは絶対にしてやらん!」なんていう天邪鬼性を帯びてくる。前述のDr.ヴァレスの主張と、それに沿った行動も、自らそう述べているように破滅志向であり、自分自身を含め誰の利益にもならない。
もっと突き詰めて考えると、何かを脳内で「好し」と考えるのは、それが脳内麻薬か何かによって快いと認識されているからで、それはたとえば食や睡眠や性行為で快を感じるのとどれほどの差があるのか?それが遺伝子の目的と合致するかどうかだけが問題なのか?それともオリジナリティのあるシナプスマッピングだけが人間の個性であり価値であるとでも?
・・・結局は程度の問題なのだろう。自分にも益をもたらしている限り、それが同時に他者の益となっても「好し」とする。実は自分にとって益で無いものを、さも益であるかのように語る輩を見破れるだけの知力があればいい。考えすぎることは人間を幸せから遠ざける。
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