電源不要系同人サークル「Paper Entertainment Factory」のアナウンスと、適当な駄文。
本編フィルムブックと貞本エヴァ(マンガ版)と見比べてみて:
・フィルムブック1,2巻、貞本エヴァ1~3巻に相当。
・フィルムブックを見返してみると、怪我している綾波を見てから「逃げちゃダメだ」を経て「乗ります」に至るまでの流れ自体は本編もあまり変わらない。が、たしか劇場版ではミサトの「だめよ、逃げちゃ。お父さんから・・・何よりも自分から」というセリフが無くなっており、そのせいでシンジの「逃げちゃダメだ」が唐突に感じられる。ミサトが説得の姿勢を見せないことでネルフ側の物言いがより理不尽な印象になっている、というのもある。これじゃシンジも断るって。
それと、無人の初号機が手をかざして落下物からシンジを守るシーンがないため、シンジの「自分はこのロボットで戦えるのかもしれない・・・」という精神的追い風を得る機会がない。結果、この流れでなんでシンジは「逃げちゃダメだ」と自分を追い込んで戦う決意に至ったのか理由が希薄になっており感情移入しにくい。
対するに貞本エヴァのなんという描写の細かさよ。ゲンドウもめっちゃ理路整然と説得してるし。これだとシンジが断るのは父親への反発心、臆病さ、あとは突然シリアスな状況に直面させられたことからの逃避、といったところが理由になるだろう。そう、FKが間の取り方や心理描写にうるさいのは多分こういうことだ。シーンの流れや使っている映像素材自体に大きな差はなくても、視聴者が受け取る印象は大きく変わりうる。
・サキエル戦でのエヴァの暴走は、ストーリー最序盤でのクライマックスであり、つかみとして重要なシーンである。本編では時系列をいじって第二話の冒頭で初号機沈黙、回想の形で終盤に暴走を見せるというふうに「あのあと一体どうなったんだー?!」と視聴者を焦らせてテンションを引き上げている。他のシーンでもそうだが、劇場版では時系列の錯綜は行わない方針のようなので、この形で盛り上げることはできない。貞本エヴァでは意識を失ったシンジが精神世界でエヴァ内部にひそむ何かに接触するシーンが挿入され、暴走に至る。
が、劇場版では結局なにもなし。沈黙した、暴走した、勝ったァァァァーーーッ!終わり。なにその芸の無い脚本。
・劇場版では学校での描写は削れるだけ削ってある。シンジがパイロットかどうか聞かれてYESと答えるくだりもないのでミサトの口から「諜報部のセキュリティ大丈夫?」とかいうセリフが出たりする。些事だが。
・本編でシンジがゲンドウの手の火傷を見るのはシャムシエルの死骸の調査現場に見学に来たとき。が、劇場版では使徒は死骸という形で残らないようなのでこのシーンまるまるカット。
・あらためて見ると本編では学校のシーンやミサトとの生活描写でシンジの居場所実感が少しづつ形成されていくのがわかる。そもそもそういうものは積み重ねでしか得られないものだし。視聴者が受け取る印象としてもまた然り。
時間的制約で積み重ねの表現ができないがゆえのヤシマ作戦前の「人類の命運を賭けて戦うことを自覚し、戦う意志を固める」というモチベーション形成表現なのだろう。
だがなぁ。シンジが虚無的で、物事に執着が薄く、周囲に流されるままという本編同様のキャラづけでは、「人類の命運をあなたに託すわ」と言われたところで急にヒーロー的性格になるとも思えず。人はそんな抽象的なもののためには戦えない。身近な人間の幸せを守るために戦うのだ。居場所実感が希薄なままのシンジにはやっぱり戦う理由は希薄であると言わざるをえないな。
・ラミエル戦。1/1ダミーバルーンやら自走臼砲やらによる実験はオミット。職員の調査報告で済まされている。
そのかわり劇場版では狙撃前にラミエルの気をそらすために全周から飽和攻撃。やられても次から次へと。ここもナイス映像ナイスケレンみ。これによって「人類の命運を賭けている」という実感が増してもいる。
・劇場版では零号機から綾波を助け出すくだりでシンジの顔にゲンドウの顔がオーバーラップしない。フィルムブックの欄外注釈には「レイはシンジを通してゲンドウを見ているだけ。レイの微笑みはゲンドウにだけ向けられている」とあるが、それをうかがわせるオーバーラップの描写がないということは普通にシンジに微笑を向けているということか。これまでの戦う理由の希薄さとあわせて考えるに、シンジは綾波の存在を戦う理由にする、という解釈が妥当?この先の展開を見守りたい。
・そしてやはり貞本エヴァのなんという判りやすさよ。アニメで何のセリフも心理描写もなかったシーンにたいていモノローグが入ってる。これがひねくれものの庵野との違いか。
・フィルムブック1,2巻、貞本エヴァ1~3巻に相当。
・フィルムブックを見返してみると、怪我している綾波を見てから「逃げちゃダメだ」を経て「乗ります」に至るまでの流れ自体は本編もあまり変わらない。が、たしか劇場版ではミサトの「だめよ、逃げちゃ。お父さんから・・・何よりも自分から」というセリフが無くなっており、そのせいでシンジの「逃げちゃダメだ」が唐突に感じられる。ミサトが説得の姿勢を見せないことでネルフ側の物言いがより理不尽な印象になっている、というのもある。これじゃシンジも断るって。
それと、無人の初号機が手をかざして落下物からシンジを守るシーンがないため、シンジの「自分はこのロボットで戦えるのかもしれない・・・」という精神的追い風を得る機会がない。結果、この流れでなんでシンジは「逃げちゃダメだ」と自分を追い込んで戦う決意に至ったのか理由が希薄になっており感情移入しにくい。
対するに貞本エヴァのなんという描写の細かさよ。ゲンドウもめっちゃ理路整然と説得してるし。これだとシンジが断るのは父親への反発心、臆病さ、あとは突然シリアスな状況に直面させられたことからの逃避、といったところが理由になるだろう。そう、FKが間の取り方や心理描写にうるさいのは多分こういうことだ。シーンの流れや使っている映像素材自体に大きな差はなくても、視聴者が受け取る印象は大きく変わりうる。
・サキエル戦でのエヴァの暴走は、ストーリー最序盤でのクライマックスであり、つかみとして重要なシーンである。本編では時系列をいじって第二話の冒頭で初号機沈黙、回想の形で終盤に暴走を見せるというふうに「あのあと一体どうなったんだー?!」と視聴者を焦らせてテンションを引き上げている。他のシーンでもそうだが、劇場版では時系列の錯綜は行わない方針のようなので、この形で盛り上げることはできない。貞本エヴァでは意識を失ったシンジが精神世界でエヴァ内部にひそむ何かに接触するシーンが挿入され、暴走に至る。
が、劇場版では結局なにもなし。沈黙した、暴走した、勝ったァァァァーーーッ!終わり。なにその芸の無い脚本。
・劇場版では学校での描写は削れるだけ削ってある。シンジがパイロットかどうか聞かれてYESと答えるくだりもないのでミサトの口から「諜報部のセキュリティ大丈夫?」とかいうセリフが出たりする。些事だが。
・本編でシンジがゲンドウの手の火傷を見るのはシャムシエルの死骸の調査現場に見学に来たとき。が、劇場版では使徒は死骸という形で残らないようなのでこのシーンまるまるカット。
・あらためて見ると本編では学校のシーンやミサトとの生活描写でシンジの居場所実感が少しづつ形成されていくのがわかる。そもそもそういうものは積み重ねでしか得られないものだし。視聴者が受け取る印象としてもまた然り。
時間的制約で積み重ねの表現ができないがゆえのヤシマ作戦前の「人類の命運を賭けて戦うことを自覚し、戦う意志を固める」というモチベーション形成表現なのだろう。
だがなぁ。シンジが虚無的で、物事に執着が薄く、周囲に流されるままという本編同様のキャラづけでは、「人類の命運をあなたに託すわ」と言われたところで急にヒーロー的性格になるとも思えず。人はそんな抽象的なもののためには戦えない。身近な人間の幸せを守るために戦うのだ。居場所実感が希薄なままのシンジにはやっぱり戦う理由は希薄であると言わざるをえないな。
・ラミエル戦。1/1ダミーバルーンやら自走臼砲やらによる実験はオミット。職員の調査報告で済まされている。
そのかわり劇場版では狙撃前にラミエルの気をそらすために全周から飽和攻撃。やられても次から次へと。ここもナイス映像ナイスケレンみ。これによって「人類の命運を賭けている」という実感が増してもいる。
・劇場版では零号機から綾波を助け出すくだりでシンジの顔にゲンドウの顔がオーバーラップしない。フィルムブックの欄外注釈には「レイはシンジを通してゲンドウを見ているだけ。レイの微笑みはゲンドウにだけ向けられている」とあるが、それをうかがわせるオーバーラップの描写がないということは普通にシンジに微笑を向けているということか。これまでの戦う理由の希薄さとあわせて考えるに、シンジは綾波の存在を戦う理由にする、という解釈が妥当?この先の展開を見守りたい。
・そしてやはり貞本エヴァのなんという判りやすさよ。アニメで何のセリフも心理描写もなかったシーンにたいていモノローグが入ってる。これがひねくれものの庵野との違いか。
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劇場で観たときのファーストインプレッション:
・序盤全体的に駆け足気味?怪我している綾波を見てから「逃げちゃダメだ」を経て「乗ります」に至るまでの間の取り方の短さ&心情描写の薄さ、沈黙から暴走状態に移行する箇所のケレンミの少なさ、サキエルの自爆に巻き込まれたエヴァはどうなった?と観客に思わせるだけの間を取らずにすぐさま健在が確認される映像を流す、など。
・サキエルが第4使徒になってたな。
・暴走したエヴァがムーンサルトでサキエルに躍りかかるシーンは非常に魅せる動きで良い映像なのだが、本編とは違って画面全体が暗くてよく見えない。蛍光グリーンにカラーリングされた箇所を目立たせるためにサキエルとの戦闘シーン全体が暗めになっていたようだが、ここを筆頭に「アニメーション(動き)で魅せる」ウリを損なっているという点で正直マイナスのほうが大きい演出方針だったと思う。
・3DCGを駆使して第三新東京市の変形を余すところなく公開!本編より圧倒的に力の入った演出のおかげで「なんという無駄なギミック・・・エネルギーの無駄遣いもいいところだ!」とハッキリと意識するに至ったわけだがw
・シャムシエルが多脚わきわきで気色悪さアップ。後頭部にサキエル同様の面が付いてたけどあれは前は無かったよな?銃を乱射して着弾煙で相手が見えなくなる、ってのは同じだけどパレットガンがガトリングガンに変わってる。
・戦闘シーンの音楽がなんかナディアのそれに近しく思えた。低音を効かせた曲調から高音部を膨らませる曲調に変わってるからか?
・死んだ使徒が血しぶきのように飛び散るようになったので、シャムシエルを仕留めたまま静止したエヴァが夕日をバックに一枚の影絵と化すシーンでシャムシエルが触手しか残っていない(あるいは触手だけが残っている、とも言える)絵づらになっていたのには違和感あり。
・逃げ出したシンジ。ポータブル音楽再生機のバッテリーはいつまで持つんだろう。電車の中ですでに残量乏しくなってなかったか?街の隅でダンボールにくるまって寝るなんて意外とバイタリティあるんだな、とか。
・ケンスケと出会うでもなく駅にミサトが追いかけてくるでもなくシンジ復帰。シンジの居場所の実感も戦い続ける理由も依然として希薄。とりあえずトウジは殴っておく。
・ゲンドウがシンジにそっけなくしているのは意図的なものだと知れる新セリフ。そうなのかー。ミサトが自分のところに住まわせたのは許容範囲内ということか?
・シンジ視点ではゲンドウの手の火傷についてのエピソードは知れてないので綾波への興味も理由がやや薄い。だがまあここは何とかなってるレベル。裸の綾波との第三種接近遭遇で乳首が映るのが映画ならではか。
・ラミエル超変形。スクリーン映えする動きを入れるのは良し。これぞアニメーションの醍醐味であろう。
・ラミエルの砲撃にたっぷり時間を掛けて嬲られる初号機。なんですぐに退避させないのか意味不明。パイロットだけを脱出させたらATフィールドがなくなって初号機が失われるから?でもパイロットが死んだら同じことだろうに。ゲンドウにとってはパイロットよりもエヴァのほうが重要、と視聴者に印象付けるため、にしても微妙。
・ヤシマ作戦の準備にたっっっぷり尺を割く。こういう大作戦の準備描写に力を入れてテンションを上げていく、っていうのはガイナの真骨頂っていうか、連中ホントに好きだよなー。俺も嫌いじゃない。でも他の駆け足な箇所とのバランスを考えるともう少し短くてもいいんじゃね?と思わないでもない。
・トウジとケンスケのボイスレコードに励まされ、ミサトにセントラルドグマを見せられてネルフ全職員の覚悟を聞かされ、日本中の電力を託されてシンジは戦いの意志を固める。ここに持ってきたか。
・なぜ効かなかったのかよくわからない第一射。本編ではラミエルのビームとのエネルギー干渉によるもの、という納得感がありつつ絵づらもよいシーンであるのに何故変更されているのか。危うく殺られそうになったラミエルの驚きと怒りを表現するため?エエエエェェェェー。莫迦な。
・ラミエルのビームを盾で受け止める零号機。スパークとフラッシュが激しすぎてよく見えない。サキエルとの戦闘シーンでの暗さといい、これってどうなのよ演出担当。
・ラミエルは最期も超変形。射抜かれた瞬間だけ基本形態に戻ったり、ウニ状になってブラッドレインしたり。おまえはいい仕事をした!
・綾波を救い出すべく水没した零号機をかつぎあげ、エントリープラグを排出させるためにプログナイフを抜いて・・・ちょっと待て~い。めっちゃ振りかぶってるし。なにこの無意味なバイオレンス&グロ趣味。
・火傷に耐えながら高熱になってるハッチを開けた、ぐったりしてる綾波、よかった生きてる!「別れ際にさよならなんて寂しいこと言うなよ」「自分にはなにもないなんて言うなよ」「なぜ泣いてるの?」「ごめんなさい、こういうときどんな顔したらいいかわからないの」「笑えばいいと思うよ」・・・なんか駆け足っぽくねぇ?全体的に間の取り方が短く思える。特に、「別れ際に~」の前の間と、「なぜ泣いてるの?」の前の間の短さは、そういうタイミングでセリフが出てくることが不自然に感じられるほどに重要な違い。間の取り方や短い感情描写の挿入で何倍もいいシーンになるのに・・・。俺はこういう情緒的なシーンでの間の取り方や感情描写の有無には人よりうるさいのかも知れん。ある意味クリエイターの性か。
・次回予告。突っ込みどころ満載。新キャラ?月から降下?「序」は本編6話までからそこまで大きな逸脱はないが、次はどうなるのかまったく読めない。
トータルとしては上の下、ぐらい?改良できそうな点はいろいろあるものの、作画は文句なく綺麗だったし、アニメの醍醐味も味わえる。脚本レベルで破綻といえるほどのものはとりあえず見られないのも良し。もっとも、それは3部だか4部だかを全部観てみないと結論は出せないわけだが。
・序盤全体的に駆け足気味?怪我している綾波を見てから「逃げちゃダメだ」を経て「乗ります」に至るまでの間の取り方の短さ&心情描写の薄さ、沈黙から暴走状態に移行する箇所のケレンミの少なさ、サキエルの自爆に巻き込まれたエヴァはどうなった?と観客に思わせるだけの間を取らずにすぐさま健在が確認される映像を流す、など。
・サキエルが第4使徒になってたな。
・暴走したエヴァがムーンサルトでサキエルに躍りかかるシーンは非常に魅せる動きで良い映像なのだが、本編とは違って画面全体が暗くてよく見えない。蛍光グリーンにカラーリングされた箇所を目立たせるためにサキエルとの戦闘シーン全体が暗めになっていたようだが、ここを筆頭に「アニメーション(動き)で魅せる」ウリを損なっているという点で正直マイナスのほうが大きい演出方針だったと思う。
・3DCGを駆使して第三新東京市の変形を余すところなく公開!本編より圧倒的に力の入った演出のおかげで「なんという無駄なギミック・・・エネルギーの無駄遣いもいいところだ!」とハッキリと意識するに至ったわけだがw
・シャムシエルが多脚わきわきで気色悪さアップ。後頭部にサキエル同様の面が付いてたけどあれは前は無かったよな?銃を乱射して着弾煙で相手が見えなくなる、ってのは同じだけどパレットガンがガトリングガンに変わってる。
・戦闘シーンの音楽がなんかナディアのそれに近しく思えた。低音を効かせた曲調から高音部を膨らませる曲調に変わってるからか?
・死んだ使徒が血しぶきのように飛び散るようになったので、シャムシエルを仕留めたまま静止したエヴァが夕日をバックに一枚の影絵と化すシーンでシャムシエルが触手しか残っていない(あるいは触手だけが残っている、とも言える)絵づらになっていたのには違和感あり。
・逃げ出したシンジ。ポータブル音楽再生機のバッテリーはいつまで持つんだろう。電車の中ですでに残量乏しくなってなかったか?街の隅でダンボールにくるまって寝るなんて意外とバイタリティあるんだな、とか。
・ケンスケと出会うでもなく駅にミサトが追いかけてくるでもなくシンジ復帰。シンジの居場所の実感も戦い続ける理由も依然として希薄。とりあえずトウジは殴っておく。
・ゲンドウがシンジにそっけなくしているのは意図的なものだと知れる新セリフ。そうなのかー。ミサトが自分のところに住まわせたのは許容範囲内ということか?
・シンジ視点ではゲンドウの手の火傷についてのエピソードは知れてないので綾波への興味も理由がやや薄い。だがまあここは何とかなってるレベル。裸の綾波との第三種接近遭遇で乳首が映るのが映画ならではか。
・ラミエル超変形。スクリーン映えする動きを入れるのは良し。これぞアニメーションの醍醐味であろう。
・ラミエルの砲撃にたっぷり時間を掛けて嬲られる初号機。なんですぐに退避させないのか意味不明。パイロットだけを脱出させたらATフィールドがなくなって初号機が失われるから?でもパイロットが死んだら同じことだろうに。ゲンドウにとってはパイロットよりもエヴァのほうが重要、と視聴者に印象付けるため、にしても微妙。
・ヤシマ作戦の準備にたっっっぷり尺を割く。こういう大作戦の準備描写に力を入れてテンションを上げていく、っていうのはガイナの真骨頂っていうか、連中ホントに好きだよなー。俺も嫌いじゃない。でも他の駆け足な箇所とのバランスを考えるともう少し短くてもいいんじゃね?と思わないでもない。
・トウジとケンスケのボイスレコードに励まされ、ミサトにセントラルドグマを見せられてネルフ全職員の覚悟を聞かされ、日本中の電力を託されてシンジは戦いの意志を固める。ここに持ってきたか。
・なぜ効かなかったのかよくわからない第一射。本編ではラミエルのビームとのエネルギー干渉によるもの、という納得感がありつつ絵づらもよいシーンであるのに何故変更されているのか。危うく殺られそうになったラミエルの驚きと怒りを表現するため?エエエエェェェェー。莫迦な。
・ラミエルのビームを盾で受け止める零号機。スパークとフラッシュが激しすぎてよく見えない。サキエルとの戦闘シーンでの暗さといい、これってどうなのよ演出担当。
・ラミエルは最期も超変形。射抜かれた瞬間だけ基本形態に戻ったり、ウニ状になってブラッドレインしたり。おまえはいい仕事をした!
・綾波を救い出すべく水没した零号機をかつぎあげ、エントリープラグを排出させるためにプログナイフを抜いて・・・ちょっと待て~い。めっちゃ振りかぶってるし。なにこの無意味なバイオレンス&グロ趣味。
・火傷に耐えながら高熱になってるハッチを開けた、ぐったりしてる綾波、よかった生きてる!「別れ際にさよならなんて寂しいこと言うなよ」「自分にはなにもないなんて言うなよ」「なぜ泣いてるの?」「ごめんなさい、こういうときどんな顔したらいいかわからないの」「笑えばいいと思うよ」・・・なんか駆け足っぽくねぇ?全体的に間の取り方が短く思える。特に、「別れ際に~」の前の間と、「なぜ泣いてるの?」の前の間の短さは、そういうタイミングでセリフが出てくることが不自然に感じられるほどに重要な違い。間の取り方や短い感情描写の挿入で何倍もいいシーンになるのに・・・。俺はこういう情緒的なシーンでの間の取り方や感情描写の有無には人よりうるさいのかも知れん。ある意味クリエイターの性か。
・次回予告。突っ込みどころ満載。新キャラ?月から降下?「序」は本編6話までからそこまで大きな逸脱はないが、次はどうなるのかまったく読めない。
トータルとしては上の下、ぐらい?改良できそうな点はいろいろあるものの、作画は文句なく綺麗だったし、アニメの醍醐味も味わえる。脚本レベルで破綻といえるほどのものはとりあえず見られないのも良し。もっとも、それは3部だか4部だかを全部観てみないと結論は出せないわけだが。
こいつは実に面白い近未来SFフィクションだ!・・・すごい皮肉っぽく聞こえるな。いや、文字通りの意味。
近未来SFは近い将来に実現されそうなガジェットを駆使して「可能なこと」と「不可能なこと」の境界をぼやかし、そこから飛躍させて話をふくらませる。そういう点で、「実際にあったことではないけど、あってもおかしくない話、あるいは近い将来起こるかもしれない話」であるフィクションとの相性は良好である。
この作品のテーマの少なくとも三分の一は『シリアナ』のそれと同じものであろう。
某大国が今享受している繁栄を維持するために、資源や物資の輸出元となる国の体制さえも自分達の都合がいいように操ろうとし、そのためにはあらゆる謀略はもとより暗殺や戦争も辞さないという恐るべきエゴイズム。
都合が悪い体制というのは要するに某大国にとって厳しい取引条件を提示してくる体制である。某大国にとって厳しい取引条件は逆側となる輸出元の国にとっては良い条件であり、そこから得られる利益は国を富ましめ国民生活を向上させるために必要な予算の元となる。某大国はそれを謀略や暗殺や戦争で叩き潰す。
ここまでは『シリアナ』と同じだが、この作品はそこからもう一歩踏み込んでいる。
自分達が幸福を追求する道を某大国が妨害していることを知ったその国の運動家達は、合法的な手段で状況を打破しようとしては失敗し、あるいは失敗した前例を知り、絶望してテロに走る。
このテロを起こさせないようにするために、その国の内部で争いを起こさせるという発想。民族の違い、宗教の違い、争いの火種はどの国にもあり、悲惨な現実への不満はそれをたやすく燃え上がらせる。「衣食足りて礼節を知る」、その逆の境遇にある人間はたやすく暴徒と化す。そして、国内で紛争が続いており、手近なところに「敵」がいる限り、そうそう外の「敵」に目を向けたりはしないものだ。
・・・前述したようにこれはフィクションだが、実にありそうな話なので本当に恐ろしい。
本作品ではこの争いを起こさせる部分に「SF的飛躍」があり、その目立った飛躍感が「ありそうな話」っぽさを希釈しているが、巧妙な謀略によっても実現可能なように思える。
そして、某大国側に倫理的な躊躇がいまさらあるとも思えない。
そうなると、やるかやらないかはリスクコントロールの費用対効果の問題でしかないだろう。テロで狙われそうな施設や要人の警護を厳重にするか、テロを起こしそうな人間のいる国に内戦を起こさせるか。・・・どちらかしかやってはいけないという理由もまた無い。
貧困に喘ぐ人民から搾取して得る富裕。起こさせた戦争の陰で享受する平和。
繁栄を謳歌する先進諸国は、さながら血の海に浮いた豪華客船といったところか。
残りの三分の一は倫理の問題である。
主人公の母親の問題は正直どうでもいい。脳死・植物状態・尊厳死etc.のありふれた議論だ。
戦場で少年兵(あるいは少女兵)を殺すことも自分にとってはどうでもいい。人を殺す意思と能力を持って対峙したなら、どちらが死んでも然るべき結末だ。
問題は、「血の海に浮いた豪華客船の繁栄」を享受すること、そしてその事実への無関心についてである。
我々「幸いにして」先進国に住む人間は繁栄を享受する側である。その繁栄の陰には虐げられた民の悲嘆と怨嗟が満ちている。大多数の人間はそれに気付きもせず、気付いていても耳を傾けようとせず、耳を傾けても具体的な行動を起こそうとはしない。世界の矛盾から目をそむけ、享楽的な生活を送っている。・・・
結論から言うと、「世界は矛盾に満ちていて当然」。
人間は平等などではないし、理性的な存在でもないし、その本質が善というわけでもない。
人間が”幸福を追求する”のは当たり前でも”幸福になれる”のが当たり前なわけではない。
外的環境は本来敵対的なものだ。持てる全てを利用してそこから幸福を確保する、というスタンスこそが現実的な生のあり方だろう。
ただし、人と人が社会をなして生きている以上、許されないことがある。
それは、「他者の権利を侵す」こと。他者の権利を侵す者は自らの権利を主張する論理的正当性を失う。
社会契約に対する違反でもあり、これはまぎれもない「悪」だ。
したがって、謀略・暗殺・戦争を行った者は処断されねばならない。これが現在の矛盾に対する回答その1。
もう1つ。幸福を追求するのは人間なら当然だとさきほど述べたが、幸福の内容は選んだほうがいい。特に石油依存の大量消費は限界が見えている。
資本主義の成熟は大量消費社会を到来させ、消費を促すためにメディアを通じて大衆の欲望を煽り立てる。
幸福というのはきわめて主観的なものなので、贅沢をしても幸福を感じるとは限らないし質素な生活でも十分幸福になりうる。そしてそれは、個人の幸福観・・・すなわち、心の持ち方ひとつで変えられることなのである。
過剰な消費を求める幸福観──あるいは幸福の実感が得られない空疎さを埋めるための既製品の幸福観か──を変えれば、他から貪るほどの奢侈は必要なくなる。
他人に「布教」したりする必要はない。そのような責を負わされるいわれはない。個人個人が物事を正しく認識し、然るべく振舞うようにしていけば、その集合である社会も変わっていくだろう。これが現状の矛盾に対する回答その2。
どうせ矛盾に満ちた世界だ。そう簡単に変えられるわけもない。
・・・興がのっていろいろ書いてしまったが、むろんこんな回答は本作品にはない。現実的すぎて面白みの欠片もないからな。前述した「SF的飛躍」を生かした、主人公なりの決着をつけている。この決着はフィクション的ではなくSF的であり、やはり「ありそうな話っぽさ」が希釈されている。深刻さを弱めてエンターテイメントのレベルにとどめているのかもしれない。
こういう、いろいろなことを考えさせられる──あるいは考えることができる──作品は、実に、面白い。
文章のレベルも高く、同作者の他作品も気になってくる出来だった。
近未来SFは近い将来に実現されそうなガジェットを駆使して「可能なこと」と「不可能なこと」の境界をぼやかし、そこから飛躍させて話をふくらませる。そういう点で、「実際にあったことではないけど、あってもおかしくない話、あるいは近い将来起こるかもしれない話」であるフィクションとの相性は良好である。
この作品のテーマの少なくとも三分の一は『シリアナ』のそれと同じものであろう。
某大国が今享受している繁栄を維持するために、資源や物資の輸出元となる国の体制さえも自分達の都合がいいように操ろうとし、そのためにはあらゆる謀略はもとより暗殺や戦争も辞さないという恐るべきエゴイズム。
都合が悪い体制というのは要するに某大国にとって厳しい取引条件を提示してくる体制である。某大国にとって厳しい取引条件は逆側となる輸出元の国にとっては良い条件であり、そこから得られる利益は国を富ましめ国民生活を向上させるために必要な予算の元となる。某大国はそれを謀略や暗殺や戦争で叩き潰す。
ここまでは『シリアナ』と同じだが、この作品はそこからもう一歩踏み込んでいる。
自分達が幸福を追求する道を某大国が妨害していることを知ったその国の運動家達は、合法的な手段で状況を打破しようとしては失敗し、あるいは失敗した前例を知り、絶望してテロに走る。
このテロを起こさせないようにするために、その国の内部で争いを起こさせるという発想。民族の違い、宗教の違い、争いの火種はどの国にもあり、悲惨な現実への不満はそれをたやすく燃え上がらせる。「衣食足りて礼節を知る」、その逆の境遇にある人間はたやすく暴徒と化す。そして、国内で紛争が続いており、手近なところに「敵」がいる限り、そうそう外の「敵」に目を向けたりはしないものだ。
・・・前述したようにこれはフィクションだが、実にありそうな話なので本当に恐ろしい。
本作品ではこの争いを起こさせる部分に「SF的飛躍」があり、その目立った飛躍感が「ありそうな話」っぽさを希釈しているが、巧妙な謀略によっても実現可能なように思える。
そして、某大国側に倫理的な躊躇がいまさらあるとも思えない。
そうなると、やるかやらないかはリスクコントロールの費用対効果の問題でしかないだろう。テロで狙われそうな施設や要人の警護を厳重にするか、テロを起こしそうな人間のいる国に内戦を起こさせるか。・・・どちらかしかやってはいけないという理由もまた無い。
貧困に喘ぐ人民から搾取して得る富裕。起こさせた戦争の陰で享受する平和。
繁栄を謳歌する先進諸国は、さながら血の海に浮いた豪華客船といったところか。
残りの三分の一は倫理の問題である。
主人公の母親の問題は正直どうでもいい。脳死・植物状態・尊厳死etc.のありふれた議論だ。
戦場で少年兵(あるいは少女兵)を殺すことも自分にとってはどうでもいい。人を殺す意思と能力を持って対峙したなら、どちらが死んでも然るべき結末だ。
問題は、「血の海に浮いた豪華客船の繁栄」を享受すること、そしてその事実への無関心についてである。
我々「幸いにして」先進国に住む人間は繁栄を享受する側である。その繁栄の陰には虐げられた民の悲嘆と怨嗟が満ちている。大多数の人間はそれに気付きもせず、気付いていても耳を傾けようとせず、耳を傾けても具体的な行動を起こそうとはしない。世界の矛盾から目をそむけ、享楽的な生活を送っている。・・・
結論から言うと、「世界は矛盾に満ちていて当然」。
人間は平等などではないし、理性的な存在でもないし、その本質が善というわけでもない。
人間が”幸福を追求する”のは当たり前でも”幸福になれる”のが当たり前なわけではない。
外的環境は本来敵対的なものだ。持てる全てを利用してそこから幸福を確保する、というスタンスこそが現実的な生のあり方だろう。
ただし、人と人が社会をなして生きている以上、許されないことがある。
それは、「他者の権利を侵す」こと。他者の権利を侵す者は自らの権利を主張する論理的正当性を失う。
社会契約に対する違反でもあり、これはまぎれもない「悪」だ。
したがって、謀略・暗殺・戦争を行った者は処断されねばならない。これが現在の矛盾に対する回答その1。
もう1つ。幸福を追求するのは人間なら当然だとさきほど述べたが、幸福の内容は選んだほうがいい。特に石油依存の大量消費は限界が見えている。
資本主義の成熟は大量消費社会を到来させ、消費を促すためにメディアを通じて大衆の欲望を煽り立てる。
幸福というのはきわめて主観的なものなので、贅沢をしても幸福を感じるとは限らないし質素な生活でも十分幸福になりうる。そしてそれは、個人の幸福観・・・すなわち、心の持ち方ひとつで変えられることなのである。
過剰な消費を求める幸福観──あるいは幸福の実感が得られない空疎さを埋めるための既製品の幸福観か──を変えれば、他から貪るほどの奢侈は必要なくなる。
他人に「布教」したりする必要はない。そのような責を負わされるいわれはない。個人個人が物事を正しく認識し、然るべく振舞うようにしていけば、その集合である社会も変わっていくだろう。これが現状の矛盾に対する回答その2。
どうせ矛盾に満ちた世界だ。そう簡単に変えられるわけもない。
・・・興がのっていろいろ書いてしまったが、むろんこんな回答は本作品にはない。現実的すぎて面白みの欠片もないからな。前述した「SF的飛躍」を生かした、主人公なりの決着をつけている。この決着はフィクション的ではなくSF的であり、やはり「ありそうな話っぽさ」が希釈されている。深刻さを弱めてエンターテイメントのレベルにとどめているのかもしれない。
こういう、いろいろなことを考えさせられる──あるいは考えることができる──作品は、実に、面白い。
文章のレベルも高く、同作者の他作品も気になってくる出来だった。
最初に1つ。FKはCLANNADは全部プレイしたし、AirもKanonもOneもやった。AirとKanonの京アニ版TVアニメも観たし、Airの劇場版も観た。そういう前提で語っているものとご理解いただきたい。
あと、ネタバレが嫌な人はこの記事自体回避推奨で。
CLANNADもAir同様、1人のヒロインだけにコアテーマに通じる第二部的なストーリーが用意されており、そこからトゥルーエンディングに至るという点で他のマルチエンディングゲームと比べて話の絞込みはしやすいと言ってよかろう。問題は劇場版に特有の、時間の短さ。工夫無く脚本を書くと単に薄っぺらいダイジェスト版にしかならない。この時間的制約のもと、コアテーマを汲んだ脚本にするには結構大胆な改変も必要になるだろう。
なお、レイトショーとはいえ開始十分前で5人分のまとまった席が取れたこと(全席指定)、客の入りが6割程度だったこと、などから集客力は微妙だと思われる。京アニ版TVアニメのあとならもっと集客できたろうに。
はっ!さてはそのタイミングでもう一度、という戦略かこれは??・・・いやどうだろう。
冒頭部。朋也と渚の出会いのシーンにはかなり尺を割いている。原作と違って朋也が最初から濃い陰を帯びているため、渚の独り言に言葉を返す朋也の心境がやや説明不足か。その前にモノローグの一つでもあれば自然な流れになっただろうに。それ以外は印象的なシーンとしてまとまっていると思う。舞い散る桜の花びらと空を飛ぶ鳩などの飛びものと、光の演出へのこだわりには並々ならぬものを感じた。
早々に「8年後からの回想」という形での言及が入り、時系列の錯綜があるところはわりとテクニカル。原作を知っている人間にはそれで済まされるが、原作を知らない人にとってはどうだったのだろうか。
原作では春原は酷い目にあって笑いを取るリアクション型のキャラなのだが、劇場版では朋也が虚無的で消極的なので自ら暴走するキャラになっている。これはまあ許容される改変だろう。・・・その表現の濃ゆさと尺の長さには言いたいことが多々あるが。
ほかの登場人物は朋也の父、渚の両親、潮という必須キャラ以外には智代、杏、伊吹先生、吉野さん。ことみはほんのチョイ役でセリフもなし。なんというか、能動的に動けるキャラばかりが採用された感じ。伊吹先生は原作とは違いこの高校の教師を辞めておらず、演劇部の元顧問。その改変はいいとして、なぜか合気道使いになってる。これも能動的に動けるキャラにするための肉付けか?
演劇部の部員集め、なしくずしで入部、劇のシナリオを書く渚の家にお泊り・・・というイベントを経て創立者祭前日。
シナリオを上げられなかった渚に一同絶句。しかし頭の中では出来上がっているという。それを聞いて「彼女の頭の中にあるシナリオを信じましょう。それはきっと素晴らしいものに違いないわ」と皆を、渚を励ます伊吹先生。・・・そこで何で2人にオーラが出ますか??
Airなら国崎のナチュラルボーンな変さゆえに、どこでオーラを出そうが笑って済ませられたが今回はちょっとまずいだろ。ただただ異様だった。
で、いよいよ創立者祭当日。すげぇ大々的な祭りだ!というかフレンチカンカンは高校の祭りの出し物としてありえないだろ。そしてやっぱり太鼓が出てくるのか。和太鼓じゃないけど。
夕方どころか日が暮れてからようやく演劇部の出番。この劇中劇っていう形態はメタ的に演出意図を考えさせられるから面白い。彼女たちの流儀にも劇中劇があって興味深かったのを思い出す。単にFKの趣味なのかもしれないが。
そして、渚が演じる一人芝居から彼女も自分と同じ「何も無い世界」の悪夢を見ていたことを知り、終劇後に感極まって「お前が好きだ!」
うーん・・・ちょっと強引かな?あの明るさと前向きさで実は朋也とタメをはれる逆境度でした、というのがわかって感情の堰が決壊した、というのはよしとしよう。しかし、告白の前に一言二言あればもっと自然な流れになったろうに。
その後すぐに話は8年後に飛ぶ。虚脱している朋也。周りの人の会話から、渚はすでに他界していることがわかる。危険を承知の上で、朋也との子供を出産し、やはり母体が耐えられなかったということが。
産まれた子供(潮)の世話は渚の両親にまかせっきりで、渚と過ごした日々を思い返しているだけの朋也。
春原たちが訪ねてきても返事すらしない有様の彼のもとに、父親が訪ねてくる。いつものように頼りなく情けない父親だが、「このままではお前の子も不幸になってしまう。私と同じようにはならないでくれ!子供の大切な時期に自分の悲しみに溺れていた私のようには・・・」と哀訴する。
・・・そのあとで、なんで「私を許してくれ」なんだろう?「私を許してくれなくてもいい、ただ、この愚かな父親のようにだけはならないでくれ・・・」と言っていれば説得力と一貫性があるのに。
そして翌日。吉野さんと伊吹先生が家にやってきて朋也を強制的に旅行に連れ出す。春原をはじめ元同級生のメンツも合流して賑やかになるが、渚がいないままでの空疎な明るさに耐えられない朋也は一人で帰ろうとする。しかし吉野さんは「ある人に頼まれたんだ。」と絶対に朋也を帰させない構え。「ある人って誰なんだ!」と朋也は叫ぶ。吉野さんは答えなかったが、本当は朋也にもわかっていたのだろう。それは朋也の父親だった。
目的地の駅に到着し、そこで朋也は渚の両親と、5歳になった潮に再会する。
頼りない足取りで走ってくる潮。思わず駆け寄る朋也。転んだ潮を抱きとめ、見上げてくる我が子の笑顔に朋也の顔もほころぶ。そこで突然、「何も無い世界」のイメージが浮かぶ。約束の木の下で、微笑む渚。
そこでストーリーは終わる。
おいおいおいおいおいおい。
別に俺は原作厨でもなんでもないが、この脚本じゃ朋也が自分で悩んで悟って精神的に成長する様がまったく描かれてないじゃん。
「やっぱり血のつながった親子だから」という視聴者にとってはまったく実感のともなわない理由と幻想的要素で全てを片付けたつもりかよ?!
結婚してからの渚の両親との交流もまったく描かれてなかったし。「だんご大家族」に象徴される家族的つながりを描いたとおぼしきシーンが学校関係の友達・知り合いの集まりでしかないところが後の「血のつながった親子だから~」というニュアンスの部分とも齟齬を起こしておりどうにも遺憾。
尺が足りなかったとか言うなよ?削ろうと思えばいろいろ削れる場所はあったぞ。
どうやらほんとに薄っぺらいダイジェスト版(出崎風味)にとどまってしまったようだ。
FKの評価基準はテーマ性>演出で、たとえ演出が拙くても製作者が込めたテーマ性や意図に見るべき点があれば高めの評価を下すことが多いが、その逆の場合の評価は辛い。なぜなら、演出というのはほぼ「技術」であり、経験を積んだクリエイターにとっては蓄積された手法の適用にすぎない。出崎レベルならそれこそ自身の過去作の縮小再生産でもあの程度の演出は作れてしまうだろう。テーマ性を十全に表現するために演出を駆使して初めて価値があるのだ。
薄っぺらな内容で演出だけが優れた映画など、作りこまれたモデル・キャプチャーして作られたなめらかなモーション・ノリのいい音楽、しかしシステムとゲーム性とゲームバランスはクソ、というゲームのようなものだ。
正直がっかりさせられたが、ここはポジティブ思考で切り抜けよう。
・・・視聴前よりも京アニ版TVアニメへの期待感がアップした!!!これは間違いなくプラスだな。
あと、ネタバレが嫌な人はこの記事自体回避推奨で。
CLANNADもAir同様、1人のヒロインだけにコアテーマに通じる第二部的なストーリーが用意されており、そこからトゥルーエンディングに至るという点で他のマルチエンディングゲームと比べて話の絞込みはしやすいと言ってよかろう。問題は劇場版に特有の、時間の短さ。工夫無く脚本を書くと単に薄っぺらいダイジェスト版にしかならない。この時間的制約のもと、コアテーマを汲んだ脚本にするには結構大胆な改変も必要になるだろう。
なお、レイトショーとはいえ開始十分前で5人分のまとまった席が取れたこと(全席指定)、客の入りが6割程度だったこと、などから集客力は微妙だと思われる。京アニ版TVアニメのあとならもっと集客できたろうに。
はっ!さてはそのタイミングでもう一度、という戦略かこれは??・・・いやどうだろう。
冒頭部。朋也と渚の出会いのシーンにはかなり尺を割いている。原作と違って朋也が最初から濃い陰を帯びているため、渚の独り言に言葉を返す朋也の心境がやや説明不足か。その前にモノローグの一つでもあれば自然な流れになっただろうに。それ以外は印象的なシーンとしてまとまっていると思う。舞い散る桜の花びらと空を飛ぶ鳩などの飛びものと、光の演出へのこだわりには並々ならぬものを感じた。
早々に「8年後からの回想」という形での言及が入り、時系列の錯綜があるところはわりとテクニカル。原作を知っている人間にはそれで済まされるが、原作を知らない人にとってはどうだったのだろうか。
原作では春原は酷い目にあって笑いを取るリアクション型のキャラなのだが、劇場版では朋也が虚無的で消極的なので自ら暴走するキャラになっている。これはまあ許容される改変だろう。・・・その表現の濃ゆさと尺の長さには言いたいことが多々あるが。
ほかの登場人物は朋也の父、渚の両親、潮という必須キャラ以外には智代、杏、伊吹先生、吉野さん。ことみはほんのチョイ役でセリフもなし。なんというか、能動的に動けるキャラばかりが採用された感じ。伊吹先生は原作とは違いこの高校の教師を辞めておらず、演劇部の元顧問。その改変はいいとして、なぜか合気道使いになってる。これも能動的に動けるキャラにするための肉付けか?
演劇部の部員集め、なしくずしで入部、劇のシナリオを書く渚の家にお泊り・・・というイベントを経て創立者祭前日。
シナリオを上げられなかった渚に一同絶句。しかし頭の中では出来上がっているという。それを聞いて「彼女の頭の中にあるシナリオを信じましょう。それはきっと素晴らしいものに違いないわ」と皆を、渚を励ます伊吹先生。・・・そこで何で2人にオーラが出ますか??
Airなら国崎のナチュラルボーンな変さゆえに、どこでオーラを出そうが笑って済ませられたが今回はちょっとまずいだろ。ただただ異様だった。
で、いよいよ創立者祭当日。すげぇ大々的な祭りだ!というかフレンチカンカンは高校の祭りの出し物としてありえないだろ。そしてやっぱり太鼓が出てくるのか。和太鼓じゃないけど。
夕方どころか日が暮れてからようやく演劇部の出番。この劇中劇っていう形態はメタ的に演出意図を考えさせられるから面白い。彼女たちの流儀にも劇中劇があって興味深かったのを思い出す。単にFKの趣味なのかもしれないが。
そして、渚が演じる一人芝居から彼女も自分と同じ「何も無い世界」の悪夢を見ていたことを知り、終劇後に感極まって「お前が好きだ!」
うーん・・・ちょっと強引かな?あの明るさと前向きさで実は朋也とタメをはれる逆境度でした、というのがわかって感情の堰が決壊した、というのはよしとしよう。しかし、告白の前に一言二言あればもっと自然な流れになったろうに。
その後すぐに話は8年後に飛ぶ。虚脱している朋也。周りの人の会話から、渚はすでに他界していることがわかる。危険を承知の上で、朋也との子供を出産し、やはり母体が耐えられなかったということが。
産まれた子供(潮)の世話は渚の両親にまかせっきりで、渚と過ごした日々を思い返しているだけの朋也。
春原たちが訪ねてきても返事すらしない有様の彼のもとに、父親が訪ねてくる。いつものように頼りなく情けない父親だが、「このままではお前の子も不幸になってしまう。私と同じようにはならないでくれ!子供の大切な時期に自分の悲しみに溺れていた私のようには・・・」と哀訴する。
・・・そのあとで、なんで「私を許してくれ」なんだろう?「私を許してくれなくてもいい、ただ、この愚かな父親のようにだけはならないでくれ・・・」と言っていれば説得力と一貫性があるのに。
そして翌日。吉野さんと伊吹先生が家にやってきて朋也を強制的に旅行に連れ出す。春原をはじめ元同級生のメンツも合流して賑やかになるが、渚がいないままでの空疎な明るさに耐えられない朋也は一人で帰ろうとする。しかし吉野さんは「ある人に頼まれたんだ。」と絶対に朋也を帰させない構え。「ある人って誰なんだ!」と朋也は叫ぶ。吉野さんは答えなかったが、本当は朋也にもわかっていたのだろう。それは朋也の父親だった。
目的地の駅に到着し、そこで朋也は渚の両親と、5歳になった潮に再会する。
頼りない足取りで走ってくる潮。思わず駆け寄る朋也。転んだ潮を抱きとめ、見上げてくる我が子の笑顔に朋也の顔もほころぶ。そこで突然、「何も無い世界」のイメージが浮かぶ。約束の木の下で、微笑む渚。
そこでストーリーは終わる。
おいおいおいおいおいおい。
別に俺は原作厨でもなんでもないが、この脚本じゃ朋也が自分で悩んで悟って精神的に成長する様がまったく描かれてないじゃん。
「やっぱり血のつながった親子だから」という視聴者にとってはまったく実感のともなわない理由と幻想的要素で全てを片付けたつもりかよ?!
結婚してからの渚の両親との交流もまったく描かれてなかったし。「だんご大家族」に象徴される家族的つながりを描いたとおぼしきシーンが学校関係の友達・知り合いの集まりでしかないところが後の「血のつながった親子だから~」というニュアンスの部分とも齟齬を起こしておりどうにも遺憾。
尺が足りなかったとか言うなよ?削ろうと思えばいろいろ削れる場所はあったぞ。
どうやらほんとに薄っぺらいダイジェスト版(出崎風味)にとどまってしまったようだ。
FKの評価基準はテーマ性>演出で、たとえ演出が拙くても製作者が込めたテーマ性や意図に見るべき点があれば高めの評価を下すことが多いが、その逆の場合の評価は辛い。なぜなら、演出というのはほぼ「技術」であり、経験を積んだクリエイターにとっては蓄積された手法の適用にすぎない。出崎レベルならそれこそ自身の過去作の縮小再生産でもあの程度の演出は作れてしまうだろう。テーマ性を十全に表現するために演出を駆使して初めて価値があるのだ。
薄っぺらな内容で演出だけが優れた映画など、作りこまれたモデル・キャプチャーして作られたなめらかなモーション・ノリのいい音楽、しかしシステムとゲーム性とゲームバランスはクソ、というゲームのようなものだ。
正直がっかりさせられたが、ここはポジティブ思考で切り抜けよう。
・・・視聴前よりも京アニ版TVアニメへの期待感がアップした!!!これは間違いなくプラスだな。
いやーこの土日は遊び倒した!朝から晩まで!
9/15(土) 7時ごろ起床。飯食ったりデッキを組んだり風呂に入ったりして、12時ごろに池袋に出て遊ぶ。
遊び終わったあと一旦家に帰ってから例会へ。朝組んだデッキをテストスピンしたのちドラフト。
例会後はモスバーガーで飯を食いながら駄弁り、一旦家に帰ってから池袋のパセラへ。
そこで皆と合流して朝6時まで徹カラ。FK達のカラオケ流儀は「誰が入れた歌であろうと、歌える歌が流れていたらとりあえず歌う」なので、人数が何人でも関係なく消耗する。2ヵ月ぐらいカラオケに行ってなかったので新曲をカバーするだけで4時間ぐらいかかってたような。ともかく、歌唱欲を発散して満足したらさすがに眠くなって、帰宅して6時半ぐらいに就寝。
9/16(日) 12時ごろ起床。ひさしぶりの徹夜は堪えた。体の節々に乳酸が蓄積しているのを実感。とりあえず飯を食ってから、ベッドの上でまったりとゲームしたり小説読んだり。5時ごろに電話がかかってきて、「今日、レイトショーでエヴァの劇場版かクラナドの劇場版観にいくから」マジ?
7時には昨晩のカラオケと同じメンツが揃い、まずは夕食。日曜の夕方に皆が集まるときはFKがホストとして食事を供するのはいつものことだが、5人となるとちょっと大変だ。なにしろ食器がそんなにない。
しょうがないのでおかずは大皿に盛って各自小皿に取り分けてもらう形に。ついでに、量が多くなると炊飯器の誤差が激しくなり、程よく飯を炊くのが難しくなる。幸い、今回は4合が巧く炊けた。うちの計量カップ3.8杯と4合ぶんの水。この情報は有効に利用しよう。
夕食が終わったらもう7時50分。レイトショーは8時20分からなので食休みするヒマも無く出発。
エヴァは立ち見状態だったのでクラナドを観ることに。そういや映画観るのも久しぶりだな。
・・・映画の感想は別記事にて。
映画が終わったあとは路上であれやこれやと感想を述べ合った。ここでどこかの店に入って、とかいう話にならないのが我々っぽいっていえば我々っぽいのだが、まあ時間も時間だし。飯はもう食ったし。
ひとくさり話してすっきりしたところでその日はおひらきに。家に帰ったら11時。いやあ池袋が近いってのは便利だね!
そして今に至る。やーここまで密度の濃い土日は近年例にないぞ。
で、この月曜は世間的には休日だが、俺には出社命令が。自分担当の仕事に遅延はまったくないが、まわりとの関係で。サラリーマンは辛いね!
9/15(土) 7時ごろ起床。飯食ったりデッキを組んだり風呂に入ったりして、12時ごろに池袋に出て遊ぶ。
遊び終わったあと一旦家に帰ってから例会へ。朝組んだデッキをテストスピンしたのちドラフト。
例会後はモスバーガーで飯を食いながら駄弁り、一旦家に帰ってから池袋のパセラへ。
そこで皆と合流して朝6時まで徹カラ。FK達のカラオケ流儀は「誰が入れた歌であろうと、歌える歌が流れていたらとりあえず歌う」なので、人数が何人でも関係なく消耗する。2ヵ月ぐらいカラオケに行ってなかったので新曲をカバーするだけで4時間ぐらいかかってたような。ともかく、歌唱欲を発散して満足したらさすがに眠くなって、帰宅して6時半ぐらいに就寝。
9/16(日) 12時ごろ起床。ひさしぶりの徹夜は堪えた。体の節々に乳酸が蓄積しているのを実感。とりあえず飯を食ってから、ベッドの上でまったりとゲームしたり小説読んだり。5時ごろに電話がかかってきて、「今日、レイトショーでエヴァの劇場版かクラナドの劇場版観にいくから」マジ?
7時には昨晩のカラオケと同じメンツが揃い、まずは夕食。日曜の夕方に皆が集まるときはFKがホストとして食事を供するのはいつものことだが、5人となるとちょっと大変だ。なにしろ食器がそんなにない。
しょうがないのでおかずは大皿に盛って各自小皿に取り分けてもらう形に。ついでに、量が多くなると炊飯器の誤差が激しくなり、程よく飯を炊くのが難しくなる。幸い、今回は4合が巧く炊けた。うちの計量カップ3.8杯と4合ぶんの水。この情報は有効に利用しよう。
夕食が終わったらもう7時50分。レイトショーは8時20分からなので食休みするヒマも無く出発。
エヴァは立ち見状態だったのでクラナドを観ることに。そういや映画観るのも久しぶりだな。
・・・映画の感想は別記事にて。
映画が終わったあとは路上であれやこれやと感想を述べ合った。ここでどこかの店に入って、とかいう話にならないのが我々っぽいっていえば我々っぽいのだが、まあ時間も時間だし。飯はもう食ったし。
ひとくさり話してすっきりしたところでその日はおひらきに。家に帰ったら11時。いやあ池袋が近いってのは便利だね!
そして今に至る。やーここまで密度の濃い土日は近年例にないぞ。
で、この月曜は世間的には休日だが、俺には出社命令が。自分担当の仕事に遅延はまったくないが、まわりとの関係で。サラリーマンは辛いね!
今週の例会はタイムスパイラルブロックドラフト。参加者は8人。
パックは祖弩者氏とTY氏の2人の提供で、テーブルで2人がそれぞれ座っているサイドの4人の合計成績を考慮して配分優先権を決める、ということに。
1パック目のタイムスパイラル。遍歴のカゲロウ獣(待機付き7マナ4/4Flyer)と胞子撒きのサリッド(4マナ4/4+α)の2択で、少考の末後者を選択。単純にマナレシオが良いこと、単体性能だけでなくほかのサリッドも強化すること、カゲロウ獣には素出しできないが待機では遅いという局面があること、などの理由から。
・・・結果的にはここがつまづき始めだったのだが。いつもなら第一パックのファーストピックは上と色がかぶって使えない可能性があるからよほどの強力カード以外は色を薄めに、という方針でいくのになぜか今回はそうしなかった。ドラフトが久しぶりだったから、というのがあるかもしれない。
その後、緑のパーツの流れはイマイチ。他の色もパッとせず、青がいちばんマシそうだったので仕方なく第二色に青を選ぶ(初手でカゲロウ獣を流しているにもかかわらず)。
途中で深海のクラーケンが流れてきたので、マナブーストとバウンスをやや優先して取り、状況をごまかしながら待機明けを待つというプランを妄想。優先とはいっても中途半端に第三色に色気を出すよりは、という程度だが。
2パック目、プレナーカオス。ファーストピックは青のベストコモン模る寄生があったので文句なし。あとはうつろう突然変異×2、水変化の精体、シタヌールの樹木読み、未開の狩り、覆われた奇異×2、オーラ術師の装い×2、とかそんな感じ。フライヤーもファッティーもまったく流れてこない。受け入れ準備だけは十分なのだが。
あと、4巡目ぐらいに「このカードはひょっとして強いんじゃ?」と思って取ったオーラ術師の装いが11巡目あたりでもう一枚回ってきたのは秘密だ。・・・取ったけど。
3パック目、フューチャーサイト。現実のストロボ、エイヴンの占い師、重い拳、ヴェンセールの拡散、その程度。これはひどい。小粒なクリーチャーとドローカードしか流れてこない。しかたなくサイクリングつきの滑る胆液とかを取ってみたりもした。
結果からいうと2人上、上、FK、下と4人緑が続いていた。そりゃ取れんわ。しかも上2人は3色で青もつまみ食いされたりカットされたりしてたし。
できあがったデッキは青緑タッチ黒。黒は沼1枚(トレイリア西部からのサーチは可能)、滑る胆液と神秘の指導フラッシュバック用なので出なくても問題なし。マナベースは安定しているがデッキの中身はしょんぼり系。
やけくそになって「俺はラックだけで勝つ!」と大宣言。
一回戦:
相手は下の人。たぶん緑はFK以上にしょっぱい内容かと推測される。
一戦目。先手を取れたので2ターン目珊瑚のペテン師からビートダウンを敢行。平行して覆われた奇異を待機し、ブロッカーが出てくる頃にはアンブロッカブルアタック。二体目で同じことをやり、そこそこ押し込んだものの大量の芽吹きからのトークンで攻めを減速される。しかし、毎ターンブロッカーを出すためにマナを拘束されつづけては反攻は望めず、しだいにこちらの軍勢が増えていく。狩るものヴォラシュを出されたがバウンスし、次ターンのアタックで攻撃が通ったところに重い拳をインスタントプレイし決着。
ヴォラシュ対策に論理の結び目をサイドイン。
二戦目。後手だが似たような展開。違ったのは覆われた奇異が一体だったこと、かわりにヘイブンウッドのワームが出たこと。大量の芽吹きで攻めを減速され、召喚士の契約からヴォラシュを出されたが、拭い去りでバウンスして論理の結び目でカウンターすることに成功。
最後はオーラ術師の装いをつけたヘイブンウッドのワーム(7/8警戒トランプル)がブロックされたところに重い拳をインスタントプレイし+5されたダメージが抜けて決着。
二回戦:相手は2つ上の人(祖弩者氏)。緑の戦力はFKより圧倒的に充実しているかと思われる。
一戦目。相手が土地事故のうえ、覆われた奇異待機→覆われた奇異待機→胞子撒きのサリッドという展開。
二戦目。0/5のファンガスで地上を止められ、エイヴンの占い師に殴られる。すぐさまうつろう突然変異で除去するものの、ウークタビードレイクが出されてまた殴られる。しかし反撃の手立ては揃っていた。
覆われた奇異待機→覆われた奇異待機→エイヴンの占い師→変異(水深の予見者)→ヘイヴンウッドのワーム→一体目の覆われた奇異の待機明け、アタック開始
アタック後に水深の予見者を表返して現実のストロボを引き、相手の一番パワーの大きいクリーチャーをバウンス。このバウンスが決め手となり、返しのアタックでの勝ちの目がなくなった相手が投了。
おいおい、ほんとにラックだけで決勝進出ですよ。
時間が余ったのでオープン戦で三戦目。
3ターン目に深海のクラーケンを待機、相手の攻撃をバウンスやうつろう突然変異、模る寄生でしのぎながら待機明けを待つ。
ついに待機が明けたものの、ライフはけっこう押し込まれているので相手のアタックのことを考えれば普通ならアタックにいけない。
しかし、オーラ術師の装いをつけてアタック(8/8警戒アンブロッカブル)。
次のターン、「もう一枚の」オーラ術師の装いをつけてアタック(14/14警戒アンブロッカブル)。
この、あまりに斗羽的なフィニッシュにギャラリー含め全員爆笑。
決勝戦:相手は上の人。やっぱり緑の戦力はこちらより充実しているものと思われ。
なお、両名ともTY氏サイドなのでどちらが買っても分配優先権に変化はない。
一戦目。先手を取られて相手2ターン目厚皮のゴブリン、3ターン目3/2エコーFlyer。
ここで、手札のうつろう突然変異を過信した&厚皮のエコー無料化能力を忘れていて(以下思考内容:「次のターンはエコーの支払いに費やされ、アタッカーの追加はない。3/2をうつろう突然変異で除去し、水変化の精体を1/5で場に出せば相手の攻勢は止まるだろう」)、ブロッカーとしての変異召喚を行わずに深海のクラーケンを待機してしまう。
あとはお察しの通り。見事にビートダウンされましたとさ。
二戦目。先手を取るが手札が微妙。珊瑚のペテン師、オーラ術師の装い×2、うつろう突然変異、土地三枚。不安はあるが土地の枚数に文句はないし先手マリガンのリスクの高さを考えると冒険はできない。このままスタート。
・・・このあと、うつろう突然変異一枚以外は土地しか引かず。相手の攻勢をしのぐためにやむなく変異(珊瑚のペテン師)にオーラ術師の装いをつけようとしたらそこに死亡/退場。ナイス2対1交換!しかもわずか1マナでこちらの7マナを無効化ですよ。通常でも致命的なテンポ&カードアドバンテージロスだといえよう。
そのまま押し切られて敗北。
うつろう突然変異で見事7マナのカードをめくって相手のヘイブンウッドのワームを屠ったことだけがわずかにFKの心を慰めた。
・・・あのオープン戦で無駄に運を使っちまったかなw
ともあれ、あんなデッキで2位になったのだから上出来・・・ということにしておこう。
パックは祖弩者氏とTY氏の2人の提供で、テーブルで2人がそれぞれ座っているサイドの4人の合計成績を考慮して配分優先権を決める、ということに。
1パック目のタイムスパイラル。遍歴のカゲロウ獣(待機付き7マナ4/4Flyer)と胞子撒きのサリッド(4マナ4/4+α)の2択で、少考の末後者を選択。単純にマナレシオが良いこと、単体性能だけでなくほかのサリッドも強化すること、カゲロウ獣には素出しできないが待機では遅いという局面があること、などの理由から。
・・・結果的にはここがつまづき始めだったのだが。いつもなら第一パックのファーストピックは上と色がかぶって使えない可能性があるからよほどの強力カード以外は色を薄めに、という方針でいくのになぜか今回はそうしなかった。ドラフトが久しぶりだったから、というのがあるかもしれない。
その後、緑のパーツの流れはイマイチ。他の色もパッとせず、青がいちばんマシそうだったので仕方なく第二色に青を選ぶ(初手でカゲロウ獣を流しているにもかかわらず)。
途中で深海のクラーケンが流れてきたので、マナブーストとバウンスをやや優先して取り、状況をごまかしながら待機明けを待つというプランを妄想。優先とはいっても中途半端に第三色に色気を出すよりは、という程度だが。
2パック目、プレナーカオス。ファーストピックは青のベストコモン模る寄生があったので文句なし。あとはうつろう突然変異×2、水変化の精体、シタヌールの樹木読み、未開の狩り、覆われた奇異×2、オーラ術師の装い×2、とかそんな感じ。フライヤーもファッティーもまったく流れてこない。受け入れ準備だけは十分なのだが。
あと、4巡目ぐらいに「このカードはひょっとして強いんじゃ?」と思って取ったオーラ術師の装いが11巡目あたりでもう一枚回ってきたのは秘密だ。・・・取ったけど。
3パック目、フューチャーサイト。現実のストロボ、エイヴンの占い師、重い拳、ヴェンセールの拡散、その程度。これはひどい。小粒なクリーチャーとドローカードしか流れてこない。しかたなくサイクリングつきの滑る胆液とかを取ってみたりもした。
結果からいうと2人上、上、FK、下と4人緑が続いていた。そりゃ取れんわ。しかも上2人は3色で青もつまみ食いされたりカットされたりしてたし。
できあがったデッキは青緑タッチ黒。黒は沼1枚(トレイリア西部からのサーチは可能)、滑る胆液と神秘の指導フラッシュバック用なので出なくても問題なし。マナベースは安定しているがデッキの中身はしょんぼり系。
やけくそになって「俺はラックだけで勝つ!」と大宣言。
一回戦:
相手は下の人。たぶん緑はFK以上にしょっぱい内容かと推測される。
一戦目。先手を取れたので2ターン目珊瑚のペテン師からビートダウンを敢行。平行して覆われた奇異を待機し、ブロッカーが出てくる頃にはアンブロッカブルアタック。二体目で同じことをやり、そこそこ押し込んだものの大量の芽吹きからのトークンで攻めを減速される。しかし、毎ターンブロッカーを出すためにマナを拘束されつづけては反攻は望めず、しだいにこちらの軍勢が増えていく。狩るものヴォラシュを出されたがバウンスし、次ターンのアタックで攻撃が通ったところに重い拳をインスタントプレイし決着。
ヴォラシュ対策に論理の結び目をサイドイン。
二戦目。後手だが似たような展開。違ったのは覆われた奇異が一体だったこと、かわりにヘイブンウッドのワームが出たこと。大量の芽吹きで攻めを減速され、召喚士の契約からヴォラシュを出されたが、拭い去りでバウンスして論理の結び目でカウンターすることに成功。
最後はオーラ術師の装いをつけたヘイブンウッドのワーム(7/8警戒トランプル)がブロックされたところに重い拳をインスタントプレイし+5されたダメージが抜けて決着。
二回戦:相手は2つ上の人(祖弩者氏)。緑の戦力はFKより圧倒的に充実しているかと思われる。
一戦目。相手が土地事故のうえ、覆われた奇異待機→覆われた奇異待機→胞子撒きのサリッドという展開。
二戦目。0/5のファンガスで地上を止められ、エイヴンの占い師に殴られる。すぐさまうつろう突然変異で除去するものの、ウークタビードレイクが出されてまた殴られる。しかし反撃の手立ては揃っていた。
覆われた奇異待機→覆われた奇異待機→エイヴンの占い師→変異(水深の予見者)→ヘイヴンウッドのワーム→一体目の覆われた奇異の待機明け、アタック開始
アタック後に水深の予見者を表返して現実のストロボを引き、相手の一番パワーの大きいクリーチャーをバウンス。このバウンスが決め手となり、返しのアタックでの勝ちの目がなくなった相手が投了。
おいおい、ほんとにラックだけで決勝進出ですよ。
時間が余ったのでオープン戦で三戦目。
3ターン目に深海のクラーケンを待機、相手の攻撃をバウンスやうつろう突然変異、模る寄生でしのぎながら待機明けを待つ。
ついに待機が明けたものの、ライフはけっこう押し込まれているので相手のアタックのことを考えれば普通ならアタックにいけない。
しかし、オーラ術師の装いをつけてアタック(8/8警戒アンブロッカブル)。
次のターン、「もう一枚の」オーラ術師の装いをつけてアタック(14/14警戒アンブロッカブル)。
この、あまりに斗羽的なフィニッシュにギャラリー含め全員爆笑。
決勝戦:相手は上の人。やっぱり緑の戦力はこちらより充実しているものと思われ。
なお、両名ともTY氏サイドなのでどちらが買っても分配優先権に変化はない。
一戦目。先手を取られて相手2ターン目厚皮のゴブリン、3ターン目3/2エコーFlyer。
ここで、手札のうつろう突然変異を過信した&厚皮のエコー無料化能力を忘れていて(以下思考内容:「次のターンはエコーの支払いに費やされ、アタッカーの追加はない。3/2をうつろう突然変異で除去し、水変化の精体を1/5で場に出せば相手の攻勢は止まるだろう」)、ブロッカーとしての変異召喚を行わずに深海のクラーケンを待機してしまう。
あとはお察しの通り。見事にビートダウンされましたとさ。
二戦目。先手を取るが手札が微妙。珊瑚のペテン師、オーラ術師の装い×2、うつろう突然変異、土地三枚。不安はあるが土地の枚数に文句はないし先手マリガンのリスクの高さを考えると冒険はできない。このままスタート。
・・・このあと、うつろう突然変異一枚以外は土地しか引かず。相手の攻勢をしのぐためにやむなく変異(珊瑚のペテン師)にオーラ術師の装いをつけようとしたらそこに死亡/退場。ナイス2対1交換!しかもわずか1マナでこちらの7マナを無効化ですよ。通常でも致命的なテンポ&カードアドバンテージロスだといえよう。
そのまま押し切られて敗北。
うつろう突然変異で見事7マナのカードをめくって相手のヘイブンウッドのワームを屠ったことだけがわずかにFKの心を慰めた。
・・・あのオープン戦で無駄に運を使っちまったかなw
ともあれ、あんなデッキで2位になったのだから上出来・・・ということにしておこう。
本日が賞味期限の卵が6個。さしあたり使い道が思いつかないのでゆで卵にすることにした。
冷蔵庫から取り出した卵を、水を張った鍋に入れてしばし放置。冷たいままいきなりゆでるのではなく、水温までぬるませてからゆでればひび割れが起こりにくいのだ。
一時間ぐらいたったところで火をつけ、沸騰したら火を小さくし、再度しばし放置。
・・・したまま忘れてたw
爆発音でようやく気付いた。あぶねーあぶねー。ガス爆発の音じゃなくて卵が爆ぜる音で済んで助かったよ。
もちろん鍋の中に水は一滴もなし。火を止めるために近づくのが一苦労で、爆発物処理班の気持ちが少し分かったような。
ただ、換気扇はつけていたので煙が充満していたりはしなかった。幸いにも。
こんなんで火災報知器鳴らしたら近所迷惑もいいところだからな!
冷蔵庫から取り出した卵を、水を張った鍋に入れてしばし放置。冷たいままいきなりゆでるのではなく、水温までぬるませてからゆでればひび割れが起こりにくいのだ。
一時間ぐらいたったところで火をつけ、沸騰したら火を小さくし、再度しばし放置。
・・・したまま忘れてたw
爆発音でようやく気付いた。あぶねーあぶねー。ガス爆発の音じゃなくて卵が爆ぜる音で済んで助かったよ。
もちろん鍋の中に水は一滴もなし。火を止めるために近づくのが一苦労で、爆発物処理班の気持ちが少し分かったような。
ただ、換気扇はつけていたので煙が充満していたりはしなかった。幸いにも。
こんなんで火災報知器鳴らしたら近所迷惑もいいところだからな!
発売から2年もたっているが機会を得てようやく見終わった。
映像はなかなか。さすがOVA。キャラはこつえー絵ではないが雰囲気を壊さずにうまくまとめている。
しかし、読後感というか視聴後感というか、どうにもあっさりとしていて薄すぎるのだ。ローストチキンと蒸し鶏ぐらいは違う。
起承転結の「起」「承」のところはともかく、「転」「結」が。
あの内容に対して6話と言うのはいかにも短かったか?
しかし、1~3巻の内容を4話で表現しえたのに、4巻一冊の内容を2話で表現しえないということがあるのだろうか?
結論からいえば、ある。
あらためて読み返してみると、秋山瑞人の文章には一見どうでも良いがさりげない伏線性を帯びた挿話と、内面描写が多い。
それらを全てオミットして、メインの登場人物について実際に現象として起こったことだけをひたすら描写していってもアニメとしては成立する。
しかし、4巻からはどうでもいい挿話は消え、内面描写が重要性を増す。それでも、クライマックスに至る旅と南洋での出来事があって情景描写のボリュームも減りはしない。
だから、それまでのやり方では盛り上がる結末を描けなかった。ストーリー的には内面描写の重要性が増しているのに、それは省かれているのだから。
・・・と、いうよりも、結局この脚本ではひたすら現象面だけを追っていったにすぎない。
浅羽の葛藤も苦悩も精神的成長も何も無い。凡庸極まりない、作業的な脚本だ。
原作未読の人がいたら是非読んでみることをお薦めする。OVAは見なくていいから。
映像はなかなか。さすがOVA。キャラはこつえー絵ではないが雰囲気を壊さずにうまくまとめている。
しかし、読後感というか視聴後感というか、どうにもあっさりとしていて薄すぎるのだ。ローストチキンと蒸し鶏ぐらいは違う。
起承転結の「起」「承」のところはともかく、「転」「結」が。
あの内容に対して6話と言うのはいかにも短かったか?
しかし、1~3巻の内容を4話で表現しえたのに、4巻一冊の内容を2話で表現しえないということがあるのだろうか?
結論からいえば、ある。
あらためて読み返してみると、秋山瑞人の文章には一見どうでも良いがさりげない伏線性を帯びた挿話と、内面描写が多い。
それらを全てオミットして、メインの登場人物について実際に現象として起こったことだけをひたすら描写していってもアニメとしては成立する。
しかし、4巻からはどうでもいい挿話は消え、内面描写が重要性を増す。それでも、クライマックスに至る旅と南洋での出来事があって情景描写のボリュームも減りはしない。
だから、それまでのやり方では盛り上がる結末を描けなかった。ストーリー的には内面描写の重要性が増しているのに、それは省かれているのだから。
・・・と、いうよりも、結局この脚本ではひたすら現象面だけを追っていったにすぎない。
浅羽の葛藤も苦悩も精神的成長も何も無い。凡庸極まりない、作業的な脚本だ。
原作未読の人がいたら是非読んでみることをお薦めする。OVAは見なくていいから。
めずらしく夕食で外食。近くの定食屋で肉野菜定食を食す。
・・・自分で作ったほうが1.5倍は美味いな。量も無駄に多すぎる。
昔はわりとよく利用してたんだが、店・自分双方の変化の結果、FKのニーズにあわない店になってしまったようだ。
もう行かないかも。
その店で今週のジャンプを読んでて思ったこといくつか。
>「全ての人類は私の敵であり私の所有物だ。私だけが壊す権利を持っている by シックス」(ネウロ)
敵の所有を主張するってのはかなり猟奇的ですねシックスさん。猟奇的が悪口にならない系のキャラですが。
>「HUNTER×HUNTER 10/6(土)発売のジャンプより連載再開」
あ、とりあえず生きてはいたんだ。実際に連載再開するかはともかく。
・・・自分で作ったほうが1.5倍は美味いな。量も無駄に多すぎる。
昔はわりとよく利用してたんだが、店・自分双方の変化の結果、FKのニーズにあわない店になってしまったようだ。
もう行かないかも。
その店で今週のジャンプを読んでて思ったこといくつか。
>「全ての人類は私の敵であり私の所有物だ。私だけが壊す権利を持っている by シックス」(ネウロ)
敵の所有を主張するってのはかなり猟奇的ですねシックスさん。猟奇的が悪口にならない系のキャラですが。
>「HUNTER×HUNTER 10/6(土)発売のジャンプより連載再開」
あ、とりあえず生きてはいたんだ。実際に連載再開するかはともかく。
少子化は社会が成熟して発展が減速すれば必然の流れなのだが、それゆえに危機感をあおって世間に注意を喚起したところで各構成員にはどうしようもない。為政者側が手を打つしかないのだ。
にしても実際に問題になる前に手を打つという先見性は凡夫には理解されにくいから後手後手になるのはわからんでもないが、「15年前はこれでうまくいってたんだ!!」とかいって古いシステムに手を加えようともしない人間は民間なら無能の烙印を押されて社史編纂室行きだろうな。
そういう意味では教育関係のシステムも相当時代にそぐわなくなっていて酷い有様らしいね。
なんとまあ為政者側の人間のおめでたいことよ。
じゃあ少子化対策は具体的にどうすればいいのかと問われれば、
「子供の養育費を国庫が負担」
これに尽きるだろう。
若者に異性との出会いの場をもうける、なんてのは二の次だ。・・・そりゃ無いよりはいいが。
子供の養育費ってのは確実に消費される金銭であり、景気対策として一定の効果も見込める。
子供のいる家庭は消費活動が激しいから、養育費の負担がなくなって浮いた金も何かしらの形で使ってくれる可能性は高い。
日本の国民性では不況下で減税しても消費に結びつくとは限らず、むしろ貯金に回されがちなことを思えば単純に景気対策として見ても悪くなさそうだ。
あ、あと巷の物々交換サイトでは子供服の交換が人気らしいね。子供服専用で、送るとポイントが貯まり、子供服を貰うためだけにそのポイントを使える、というシステムのところもあるとか。そういうのも全国的に利用できるようになればなお良し。
でも、そこに官がからむとまた利権問題が出てくるんだろうな・・・やれやれだ。
にしても実際に問題になる前に手を打つという先見性は凡夫には理解されにくいから後手後手になるのはわからんでもないが、「15年前はこれでうまくいってたんだ!!」とかいって古いシステムに手を加えようともしない人間は民間なら無能の烙印を押されて社史編纂室行きだろうな。
そういう意味では教育関係のシステムも相当時代にそぐわなくなっていて酷い有様らしいね。
なんとまあ為政者側の人間のおめでたいことよ。
じゃあ少子化対策は具体的にどうすればいいのかと問われれば、
「子供の養育費を国庫が負担」
これに尽きるだろう。
若者に異性との出会いの場をもうける、なんてのは二の次だ。・・・そりゃ無いよりはいいが。
子供の養育費ってのは確実に消費される金銭であり、景気対策として一定の効果も見込める。
子供のいる家庭は消費活動が激しいから、養育費の負担がなくなって浮いた金も何かしらの形で使ってくれる可能性は高い。
日本の国民性では不況下で減税しても消費に結びつくとは限らず、むしろ貯金に回されがちなことを思えば単純に景気対策として見ても悪くなさそうだ。
あ、あと巷の物々交換サイトでは子供服の交換が人気らしいね。子供服専用で、送るとポイントが貯まり、子供服を貰うためだけにそのポイントを使える、というシステムのところもあるとか。そういうのも全国的に利用できるようになればなお良し。
でも、そこに官がからむとまた利権問題が出てくるんだろうな・・・やれやれだ。