電源不要系同人サークル「Paper Entertainment Factory」のアナウンスと、適当な駄文。
凄くひさしぶりにまともに最初から最後までプレイした読み物系ゲーム。原画家目当てで手を出したのだけれども。
導入部で早々と「何この中二病設定…」と思わされるものの、その設定はご都合主義的に使われるわけではなくあくまでSF的舞台&状況設定として使われ、そういう舞台&状況だと人は何を考え、どう振舞う?というのがわりとしっかり描かれており好感が持てる。
まあ、リアリティを追求して真面目にしっかり描いてるせいでカタルシスに欠ける部分があるのだけども。そりゃまあ現実と同じくたくさんの人の思惑の絡んだ問題に万能薬的解決法などあるはずもなく。
なので、話の中核的な部分より脇道のほうが気楽に楽しめる。キャラ同士の掛け合いが面白いので…というか、話を読み続けさせる力というのはこういうキャラ同士の掛け合いの面白さ等の「口当たりのよさ」が大部分を担っている、というのはEver17やCROSS†CHANNELあたりから思っていたことで、このゲームもその例に漏れない。
次の展開が気になって目を離せない!なんてのは読み物系ゲームでは稀だと思う。
総合的な評価では中の中というところ。それなりに面白いけど強くオススメするほどではありません。
導入部で早々と「何この中二病設定…」と思わされるものの、その設定はご都合主義的に使われるわけではなくあくまでSF的舞台&状況設定として使われ、そういう舞台&状況だと人は何を考え、どう振舞う?というのがわりとしっかり描かれており好感が持てる。
まあ、リアリティを追求して真面目にしっかり描いてるせいでカタルシスに欠ける部分があるのだけども。そりゃまあ現実と同じくたくさんの人の思惑の絡んだ問題に万能薬的解決法などあるはずもなく。
なので、話の中核的な部分より脇道のほうが気楽に楽しめる。キャラ同士の掛け合いが面白いので…というか、話を読み続けさせる力というのはこういうキャラ同士の掛け合いの面白さ等の「口当たりのよさ」が大部分を担っている、というのはEver17やCROSS†CHANNELあたりから思っていたことで、このゲームもその例に漏れない。
次の展開が気になって目を離せない!なんてのは読み物系ゲームでは稀だと思う。
総合的な評価では中の中というところ。それなりに面白いけど強くオススメするほどではありません。
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なんだろ。
30分ほどの間、頭の中で誰か(まあ、FK自身なんだが)が意味も無く叫び続けているイメージが持続していた。ゲームやってても、音楽聴いてても、テキスト読んでても。
これは心身症的症状なのか?「俺は気が狂いかけているのか?」みたいな。
まあ、治まったんだけど。これが何なのかは興味あるな。
30分ほどの間、頭の中で誰か(まあ、FK自身なんだが)が意味も無く叫び続けているイメージが持続していた。ゲームやってても、音楽聴いてても、テキスト読んでても。
これは心身症的症状なのか?「俺は気が狂いかけているのか?」みたいな。
まあ、治まったんだけど。これが何なのかは興味あるな。
今回の冬コミには行かなかったので穏やかな年末年始。大晦日は普通に大掃除とかしてた。
元旦は祖母のところに年始の挨拶に行ってから初詣へ。練馬区内では白山神社と氷川神社が有名だったので前者へ。
練馬の白山神社は創建が平安時代、源義家が戦勝祈願で参拝したこともあるという由緒正しい神社で、その義家が奉納したという樹齢800年のケヤキが御神木として存在している。しかし、祭神はイザナミなので義家の戦勝祈願はちょっとズレてる気もする。そういう自分も健康祈願とかだけど。
元旦は祖母のところに年始の挨拶に行ってから初詣へ。練馬区内では白山神社と氷川神社が有名だったので前者へ。
練馬の白山神社は創建が平安時代、源義家が戦勝祈願で参拝したこともあるという由緒正しい神社で、その義家が奉納したという樹齢800年のケヤキが御神木として存在している。しかし、祭神はイザナミなので義家の戦勝祈願はちょっとズレてる気もする。そういう自分も健康祈願とかだけど。
つまんないことだけど、親元を出て一人で暮らすようになってから、ティッシュ5箱入りパッケージに200円以上払ったことがないのはFKのひそかな自慢。
2年ほど前に原油高騰&古紙価格高騰でティッシュが値上がりしてたときも、特売やなんやで198円になってるときにだけ買って備蓄して運用してた。
でも、最近はデフレが進んで198円が珍しくないどころか188円、178円でも売れ残ってるというこの事実。「特売!」「お一人様2箱まで」という文字が虚しく踊る。いろいろ寒いぜ…。
2年ほど前に原油高騰&古紙価格高騰でティッシュが値上がりしてたときも、特売やなんやで198円になってるときにだけ買って備蓄して運用してた。
でも、最近はデフレが進んで198円が珍しくないどころか188円、178円でも売れ残ってるというこの事実。「特売!」「お一人様2箱まで」という文字が虚しく踊る。いろいろ寒いぜ…。
クロックパーミッションから再びコントロール寄りに戻ってきた。アラーラのオベリスクのために微妙に白をタッチしてある。
「青赤カウンターバーン」
<クリーチャー 7>
1 マグマのフェニックス
4 失われた真実のスフィンクス
2 ジュワー島のスフィンクス
<呪文 27>
4 稲妻
4 噴出の稲妻
3 本質の散乱
4 取り消し
4 二重否定
1 精神壊しの罠
3 乱動への突入
2 火山の流弾
1 精神の制御
1 アラーラのオベリスク
<土地 26>
9 島
9 山
4 沸騰する小湖
4 セジーリの隠れ家
<サイドボード 15>
2 否認
2 急転回
4 瞬間凍結
4 広がりゆく海
2 精神の制御
1 火山の流弾
前回は広がりゆく海のキャントリップで土地にアクセスしてマナを伸ばす構造だったが、今回は純粋に土地の数を増量。で、確実に7マナに到達して失われた真実のスフィンクスをキッカーつきで出そうという腹。
また、前回より確定カウンターの数が多いのでコントロール力も向上しているといえそう。
1枚挿しのカードが多いのは相手にデッキの全容を掴まれにくくするため&勝ち手段を多様化するためで、思考の大出血を通されても致命傷にはならない。ガーゴイルの城を一枚入れるのもありか。
アラーラのオベリスクはクリーチャー除去が効かない追加のフィニッシャーで、白マナが出るようになってれば火力が入っているデッキ相手にライフを安全圏に持っていくこともたやすい。
このデッキはいわゆる今のトリコロールと比べてメインフェイズに動く必要性が少ないのだが、それでも除去の確実性とサイドボードの柔軟性を考えればもう少し白比率を上げてもいいのかもしれない。
ジャングルの祭殿と氷河の城砦を採用する、などの方法で。
「青赤カウンターバーン」
<クリーチャー 7>
1 マグマのフェニックス
4 失われた真実のスフィンクス
2 ジュワー島のスフィンクス
<呪文 27>
4 稲妻
4 噴出の稲妻
3 本質の散乱
4 取り消し
4 二重否定
1 精神壊しの罠
3 乱動への突入
2 火山の流弾
1 精神の制御
1 アラーラのオベリスク
<土地 26>
9 島
9 山
4 沸騰する小湖
4 セジーリの隠れ家
<サイドボード 15>
2 否認
2 急転回
4 瞬間凍結
4 広がりゆく海
2 精神の制御
1 火山の流弾
前回は広がりゆく海のキャントリップで土地にアクセスしてマナを伸ばす構造だったが、今回は純粋に土地の数を増量。で、確実に7マナに到達して失われた真実のスフィンクスをキッカーつきで出そうという腹。
また、前回より確定カウンターの数が多いのでコントロール力も向上しているといえそう。
1枚挿しのカードが多いのは相手にデッキの全容を掴まれにくくするため&勝ち手段を多様化するためで、思考の大出血を通されても致命傷にはならない。ガーゴイルの城を一枚入れるのもありか。
アラーラのオベリスクはクリーチャー除去が効かない追加のフィニッシャーで、白マナが出るようになってれば火力が入っているデッキ相手にライフを安全圏に持っていくこともたやすい。
このデッキはいわゆる今のトリコロールと比べてメインフェイズに動く必要性が少ないのだが、それでも除去の確実性とサイドボードの柔軟性を考えればもう少し白比率を上げてもいいのかもしれない。
ジャングルの祭殿と氷河の城砦を採用する、などの方法で。
サンファンを知ってる人なら「宇宙サンファン」で7割がた説明できてしまう発展型(ゲームの目的が「自勢力を発展させてVPを稼げ!」タイプの)カードゲーム。
後発だけあってサンファンの不満点はほとんど解消されており、残る一つである「ドローがかみあわないと点が伸びない」というのはランダムな山札からカードを引いてくるタイプのゲームである以上、ランダム性がもたらしてくれる多様な展開とのコインの表裏として受け入れざるをえないものだろう。
サンファンとの主な相違点。
★ゲーム終了条件が「誰かの場に12枚以上」だけでなく「人数×12点のVPチップが尽きた」がある。
→手札枚数を稼ぐ&カードを安く場に出すという方向性以外にもVPチップを稼ぐという勝ち筋があり、前者のレースで負けていても後者を駆使すれば勝負になる。
★手札上限が7枚→10枚
手札上限に余裕があるぶんアクセスする枚数も多めで、サンファンよりもはるかにダイナミックなゲームになっている。また、アクセスする枚数の多さは選択肢を広げ、前述の「ドローがかみあわない」という不満を軽減してくれる。
★特定のアクションを必ず選択でき、アクション選択ボーナスを必ず得られる
→サンファンの場合は総督の位置から順にアクションを選んでいくので、順番の遅いプレイヤーは余り物からアクションを選ばざるをえず、そのラウンドにやりたかったアクションの選択ボーナスを得られない。手札上限もドロー枚数も少なめであるがゆえにアクション選択ボーナスの価値が相対的に大きく、また終了条件と勝利条件が建築でしか満たされないため誰かが建築を選んだときに場当たり的に建物を出さざるをえないことが多い。それに比べてRftGでは自分のプランどおりにゲームを進めていくことができる。また、サンファンと違い「アクションを順に選んでいく」方法ではないので、1ラウンドの間にある特定のアクションが行われないケースも多い。これについては後述する。
★カードを場に出すアクションが「開発」と「入植」の2つに分かれている。
→カードを安く場に出す手段としてコスト軽減や条件付での無料化があるが、その効率を突き詰める方向に向かうと自分でそのアクションを選んだときのボーナスの価値は相対的に低下する。なので自分では選ばずに他の人が選んでくれるとオイシイのだが、他人をあてにしていて選ばれなかったときはそのエンジンを活用できないわけで大きなジレンマとなる。そこが面白いところでもある。サンファンの場合は全ての要素は最終的に建築に集約されるうえ、自分で建築を選んだことのボーナスの価値が高いためいずれ誰かが必ず建築を選ぶのだが、RftGでは建築が「開発」と「入植」の二つに分かれている上に、VPチップを稼ぐ勝ち筋もあるため、自分でアクションを選ばない限り誰もそのアクションを選んでくれないということすらありうる。
★要素がサンファンより多く、さまざまな局面でさまざまなボーナスがついている
前述のように勝ち筋が一本でないことを筆頭に、サンファンよりも要素が多く、なおかつそれらの各要素にボーナスが付く効果を持つカードが多種多様に用意されているため、アドバンテージを稼ぐエンジンの構築パターンもバリエーションに富んでいる。それは同時に、他のプレイヤーが選んだアクションからボーナスを受け取る方法も多いことを意味し、特定のアクションに依存するエンジンを組みつつあるプレイヤーを確認したらそれに乗っかるという戦法もとりやすくなっている。これらは全てゲーム展開に多様性をもたらし、プレイヤーが採りうる戦法の幅も広げる効果がある。
総括すると、後発だけあってよくできてます。VPチップを使うのはめんどくさいし、多種多様なカードの効果を憶えるのはたいへんだけど、その苦労の価値はあります。ゲームのフレーバーも中世風の街を発展させるよりスタートレック+スターウォーズ+αのほうがわくわくするし。
後発だけあってサンファンの不満点はほとんど解消されており、残る一つである「ドローがかみあわないと点が伸びない」というのはランダムな山札からカードを引いてくるタイプのゲームである以上、ランダム性がもたらしてくれる多様な展開とのコインの表裏として受け入れざるをえないものだろう。
サンファンとの主な相違点。
★ゲーム終了条件が「誰かの場に12枚以上」だけでなく「人数×12点のVPチップが尽きた」がある。
→手札枚数を稼ぐ&カードを安く場に出すという方向性以外にもVPチップを稼ぐという勝ち筋があり、前者のレースで負けていても後者を駆使すれば勝負になる。
★手札上限が7枚→10枚
手札上限に余裕があるぶんアクセスする枚数も多めで、サンファンよりもはるかにダイナミックなゲームになっている。また、アクセスする枚数の多さは選択肢を広げ、前述の「ドローがかみあわない」という不満を軽減してくれる。
★特定のアクションを必ず選択でき、アクション選択ボーナスを必ず得られる
→サンファンの場合は総督の位置から順にアクションを選んでいくので、順番の遅いプレイヤーは余り物からアクションを選ばざるをえず、そのラウンドにやりたかったアクションの選択ボーナスを得られない。手札上限もドロー枚数も少なめであるがゆえにアクション選択ボーナスの価値が相対的に大きく、また終了条件と勝利条件が建築でしか満たされないため誰かが建築を選んだときに場当たり的に建物を出さざるをえないことが多い。それに比べてRftGでは自分のプランどおりにゲームを進めていくことができる。また、サンファンと違い「アクションを順に選んでいく」方法ではないので、1ラウンドの間にある特定のアクションが行われないケースも多い。これについては後述する。
★カードを場に出すアクションが「開発」と「入植」の2つに分かれている。
→カードを安く場に出す手段としてコスト軽減や条件付での無料化があるが、その効率を突き詰める方向に向かうと自分でそのアクションを選んだときのボーナスの価値は相対的に低下する。なので自分では選ばずに他の人が選んでくれるとオイシイのだが、他人をあてにしていて選ばれなかったときはそのエンジンを活用できないわけで大きなジレンマとなる。そこが面白いところでもある。サンファンの場合は全ての要素は最終的に建築に集約されるうえ、自分で建築を選んだことのボーナスの価値が高いためいずれ誰かが必ず建築を選ぶのだが、RftGでは建築が「開発」と「入植」の二つに分かれている上に、VPチップを稼ぐ勝ち筋もあるため、自分でアクションを選ばない限り誰もそのアクションを選んでくれないということすらありうる。
★要素がサンファンより多く、さまざまな局面でさまざまなボーナスがついている
前述のように勝ち筋が一本でないことを筆頭に、サンファンよりも要素が多く、なおかつそれらの各要素にボーナスが付く効果を持つカードが多種多様に用意されているため、アドバンテージを稼ぐエンジンの構築パターンもバリエーションに富んでいる。それは同時に、他のプレイヤーが選んだアクションからボーナスを受け取る方法も多いことを意味し、特定のアクションに依存するエンジンを組みつつあるプレイヤーを確認したらそれに乗っかるという戦法もとりやすくなっている。これらは全てゲーム展開に多様性をもたらし、プレイヤーが採りうる戦法の幅も広げる効果がある。
総括すると、後発だけあってよくできてます。VPチップを使うのはめんどくさいし、多種多様なカードの効果を憶えるのはたいへんだけど、その苦労の価値はあります。ゲームのフレーバーも中世風の街を発展させるよりスタートレック+スターウォーズ+αのほうがわくわくするし。
読了。
平易な内容でしかも面白いので万人にお勧めできる素晴らしい本。特にオタクが非オタ(特に女性)に知性と寛容の素晴らしさを説くためにはもってこいかもしれない。
FKはSFの価値をセンス・オブ・ワンダーと思考実験の提示にあると思っているが、前者の比率が多いほど単純なエンターテイメントに近くなり、後者の比率が多いほど「物語の形をとった啓蒙書」に近いものになる。思考実験は、それによって何らかの本質をえぐるものでなければ他者に対して提示する意味はないからだ。
作品によっても差はあるが、ラリー・ニーヴンなどは前者であり、グレッグ・イーガンは両者ともに総じて高いレベルにある。伊藤計劃はやや後者よりか。
そして、この作品はかなり後者よりだといっていいだろう。センス・オブ・ワンダーの源泉となるSF的ギミックは「ありうべき未来」としてのイメージから大きく外れたものではなく、意外性には欠ける。しかし、それゆえに読者は素直に作中世界に入りこみ、作者のメッセージを無理なく受け取ることができる。
そう、さきほど「イーガンはセンス・オブ・ワンダーと思考実験の提示の双方を高いレベルで行っている」と書いたが、その代償として読み手にしばしば高い能力を要求する。センス・オブ・ワンダーを強く感じられる世界ほど、現実世界からかけはなれがちで、その世界での体験を思考実験するには読み手の想像力が追いつかないことが多い。そうなると書き手が作品にこめたメッセージは読者に十分には伝わらない。
したがって、書き手がなるべく多くの読者に伝えたいメッセージがある場合、センス・オブ・ワンダーは控えめにするのが正しい選択である。
では、この作品で書き手が伝えたいことは何か。
「人間の愚かさ。それに起因するさまざまな現実の問題。それに対する唯一の解決策。知性と寛容の賛美。」
周辺事項としてはもっといろいろあるが、まとめてしまうとこんなところになる。
FKは山本弘にはかなりシンパシーを感じる部分が多い(思索型人間、TRPGマスターでプレイヤー、いわゆるオタクとしての素地が十分、人間の愚かさの研究と分析etc)ので、作品中でも書き手が何をいわんとしているかがハッキリとわかったり、読んでいてニヤリとさせられる箇所が多々あった。作品のメッセージの9割5分がたについては「我が意を得たり」と言っても過言ではない。残りの5分は何のことはない、FKのほうがもっと悲観的で厭世的だというだけのことだ。
もっとも、そこは枝葉であり、掘り下げても収拾がつかなくなるだけなので、メッセージを明確にするために意図的に目をつぶったのだろうとは思う。
ノンフィクションにここまで明確なメッセージを込められるだろうか?無理だろう。フィクションの持つ力はこの本自身の言及事項の一つだが、この機にあらためて考えてみるのも面白い。
平易な内容でしかも面白いので万人にお勧めできる素晴らしい本。特にオタクが非オタ(特に女性)に知性と寛容の素晴らしさを説くためにはもってこいかもしれない。
FKはSFの価値をセンス・オブ・ワンダーと思考実験の提示にあると思っているが、前者の比率が多いほど単純なエンターテイメントに近くなり、後者の比率が多いほど「物語の形をとった啓蒙書」に近いものになる。思考実験は、それによって何らかの本質をえぐるものでなければ他者に対して提示する意味はないからだ。
作品によっても差はあるが、ラリー・ニーヴンなどは前者であり、グレッグ・イーガンは両者ともに総じて高いレベルにある。伊藤計劃はやや後者よりか。
そして、この作品はかなり後者よりだといっていいだろう。センス・オブ・ワンダーの源泉となるSF的ギミックは「ありうべき未来」としてのイメージから大きく外れたものではなく、意外性には欠ける。しかし、それゆえに読者は素直に作中世界に入りこみ、作者のメッセージを無理なく受け取ることができる。
そう、さきほど「イーガンはセンス・オブ・ワンダーと思考実験の提示の双方を高いレベルで行っている」と書いたが、その代償として読み手にしばしば高い能力を要求する。センス・オブ・ワンダーを強く感じられる世界ほど、現実世界からかけはなれがちで、その世界での体験を思考実験するには読み手の想像力が追いつかないことが多い。そうなると書き手が作品にこめたメッセージは読者に十分には伝わらない。
したがって、書き手がなるべく多くの読者に伝えたいメッセージがある場合、センス・オブ・ワンダーは控えめにするのが正しい選択である。
では、この作品で書き手が伝えたいことは何か。
「人間の愚かさ。それに起因するさまざまな現実の問題。それに対する唯一の解決策。知性と寛容の賛美。」
周辺事項としてはもっといろいろあるが、まとめてしまうとこんなところになる。
FKは山本弘にはかなりシンパシーを感じる部分が多い(思索型人間、TRPGマスターでプレイヤー、いわゆるオタクとしての素地が十分、人間の愚かさの研究と分析etc)ので、作品中でも書き手が何をいわんとしているかがハッキリとわかったり、読んでいてニヤリとさせられる箇所が多々あった。作品のメッセージの9割5分がたについては「我が意を得たり」と言っても過言ではない。残りの5分は何のことはない、FKのほうがもっと悲観的で厭世的だというだけのことだ。
もっとも、そこは枝葉であり、掘り下げても収拾がつかなくなるだけなので、メッセージを明確にするために意図的に目をつぶったのだろうとは思う。
ノンフィクションにここまで明確なメッセージを込められるだろうか?無理だろう。フィクションの持つ力はこの本自身の言及事項の一つだが、この機にあらためて考えてみるのも面白い。
ニコルさんを使いたくて、彼を高確率でプレイできるデッキを目指して組んだもの。
「ダーク・アライアンス」
<クリーチャー 11>
4 潮の虚ろの大梟
4 吸血鬼の夜鷲
3 ジュワー島のスフィンクス
<呪文 25>
4 広がりゆく海
4 乱動への突入
4 苦悶のねじれ
3 破滅の刃
3 湿地での被災
1 瀝青破
1 精神の制御
1 ジェイス・ベレレン
3 リリアナ・ヴェス
1 プレインズウォーカー、ニコル・ボーラス
<土地 24>
4 崩れゆく死滅都市
4 竜髑髏の山頂
4 水没した地下墓地
5 沼
7 島
<サイドボード 15>
1 破滅の刃
1 湿地での被災
3 魂の操作
2 強迫
4 吸血鬼の呪詛術士
4 肉袋の匪賊
動きは単純。広がりゆく海で相手の展開を鈍らせたり軽除去で捌いたりブロックで相討ちをとったりバウンスしたりしながら5マナ揃うまで耐えてリリアナ・ヴェスを出す。手札破壊でプレッシャーをかけて手札に留めにくくし、出されたカードを捌いて相手をトップデッキ頼みの状態に持っていく。8マナ払えるようになったらリリアナの2番目の能力でニコル・ボーラスをライブラリトップに積み、御大降臨でゲームを終わらせる。
ジュワー島のスフィンクスやリリアナの最終奥義で普通に勝ってもOK。
それではよいニコルライフを!
「ダーク・アライアンス」
<クリーチャー 11>
4 潮の虚ろの大梟
4 吸血鬼の夜鷲
3 ジュワー島のスフィンクス
<呪文 25>
4 広がりゆく海
4 乱動への突入
4 苦悶のねじれ
3 破滅の刃
3 湿地での被災
1 瀝青破
1 精神の制御
1 ジェイス・ベレレン
3 リリアナ・ヴェス
1 プレインズウォーカー、ニコル・ボーラス
<土地 24>
4 崩れゆく死滅都市
4 竜髑髏の山頂
4 水没した地下墓地
5 沼
7 島
<サイドボード 15>
1 破滅の刃
1 湿地での被災
3 魂の操作
2 強迫
4 吸血鬼の呪詛術士
4 肉袋の匪賊
動きは単純。広がりゆく海で相手の展開を鈍らせたり軽除去で捌いたりブロックで相討ちをとったりバウンスしたりしながら5マナ揃うまで耐えてリリアナ・ヴェスを出す。手札破壊でプレッシャーをかけて手札に留めにくくし、出されたカードを捌いて相手をトップデッキ頼みの状態に持っていく。8マナ払えるようになったらリリアナの2番目の能力でニコル・ボーラスをライブラリトップに積み、御大降臨でゲームを終わらせる。
ジュワー島のスフィンクスやリリアナの最終奥義で普通に勝ってもOK。
それではよいニコルライフを!
まだ読了していないが、山本弘の哲学がすごく感じ取れる短編集。見聞を広めるほどに、人の愚かさ・狭量さ・頑迷さをまのあたりにし、それについて深く考え、出てきた彼なりの思いを込めた短編群、だと思われる。
それぞれの主張は・・・
「宇宙をぼくの手の上に」
趣味に対して偏見を向ける醜さ。フィクションもノンフィクションと変わらず物語としての力を持つこと。
「ときめきの仮想空間」
バーチャルの中での意思や決断、体験もリアルのそれと同様に価値を持ちうること。
「ミラーガール」
やはり趣味に対して偏見を向ける醜さ。それとAIものの定番、「学習型AIは人の心と近しく、価値を持ちうる」。
「ブラックホール・ダイバー」
人生観と心の成長について。
「正義が正義である世界」
人間の愚かさ・理不尽さ。
「詩音が来た日」
人生観、特に老いと死。人間の愚かさ・理不尽さ。なかでも、論理より感情を優先する愚かさ。それに対する1つの解釈。
これらの主張がすべて女性もしくは女性型AIから語られるところが興味深い。男はもとより論理偏重なので、右翼が国防の重要性を語る、みたいで主張に新鮮味が無い。左翼の口から語らせることに意味があるということだろう。特に女性型AIは内面的には男性以上に徹底して論理的だがアイコンは女性、という点でこの手の主張をさせる主体としては特別な意味を持つ。
それぞれの主張は・・・
「宇宙をぼくの手の上に」
趣味に対して偏見を向ける醜さ。フィクションもノンフィクションと変わらず物語としての力を持つこと。
「ときめきの仮想空間」
バーチャルの中での意思や決断、体験もリアルのそれと同様に価値を持ちうること。
「ミラーガール」
やはり趣味に対して偏見を向ける醜さ。それとAIものの定番、「学習型AIは人の心と近しく、価値を持ちうる」。
「ブラックホール・ダイバー」
人生観と心の成長について。
「正義が正義である世界」
人間の愚かさ・理不尽さ。
「詩音が来た日」
人生観、特に老いと死。人間の愚かさ・理不尽さ。なかでも、論理より感情を優先する愚かさ。それに対する1つの解釈。
これらの主張がすべて女性もしくは女性型AIから語られるところが興味深い。男はもとより論理偏重なので、右翼が国防の重要性を語る、みたいで主張に新鮮味が無い。左翼の口から語らせることに意味があるということだろう。特に女性型AIは内面的には男性以上に徹底して論理的だがアイコンは女性、という点でこの手の主張をさせる主体としては特別な意味を持つ。
FKは他者とかかわる部分での日常の所作でその人を評価することが多い。といっても、特に知り合いでもなんでもない他人を傍から見ていて勝手に評価するだけだが。
たとえば、幅がそれほど広くない道を談笑しながら歩いている数人の集団。話しながらだとたいてい普通に歩いているより遅くなるため、一人で歩いているFKが後ろから追いついて道が詰まる。そういう時にすぐに気付いて道をあけると高評価。でなければ低評価。
前から来る人に対してすらろくに道をあけない集団もいる。なぜか女性に多い。女性の気配りと言うのは知り合いには細やかに働くが無関係な人には冷淡だと言う説がある。真偽はわからない。
混んでいるレジで、会計額を聞いてからおもむろに小銭入れをあけ、数えながら小銭を取り出して、あげく足りなくて札を出す人。いうまでもなく低評価。高評価の人たちは、あらかじめ100円以下の端数を払えるか小銭の数を確認している。
閉じた傘をがっしり握って、腕と直角に固定されたそれを腕と一緒に勢い良く振って歩く人。頭がおかしいと言ってよいレベル。
腕の振りはたいしたことなくても、先端を後ろに向けている限り思いがけないトラブルを引き起こす可能性は常にある。特に、上り階段でそういう人の後ろにいるとヒヤヒヤさせられる。自分は傘の先端が常に自分の前方内側を向くようにしている。
混んでいる列車に乗るとき。腕や肩、ひじなどで押して乗るのは素人。誰でも上半身を押されるとバランスを崩すため、バランスが崩れないように反発する。で、乗ろうとする側がムキになってさらに強く、勢い良く押すという泥沼に。実際にそれで喧嘩に発展したケースも目撃した。
おすすめの方法は、上半身はむしろ引き気味にしてまず足を入れ、足を置く位置を確保してからじんわりと腰で押すこと。相手の下半身を動かさせればバランスを崩すこともなく、スムーズに全員が立てる状態に調整される。急激な動きがないから反発もほとんどない。最初に足を置く位置が確保できないなら、別の乗車口を当たるか次の列車にしよう。
こういう日常の所作はかなりその人の人となりを表していると思うのだが、こういうことで身近な人の所作を見ることは意外とないんだよなぁ。プライベートではわざわざ誰かと一緒に人ごみに出たりしないからだろうが。
たとえば、幅がそれほど広くない道を談笑しながら歩いている数人の集団。話しながらだとたいてい普通に歩いているより遅くなるため、一人で歩いているFKが後ろから追いついて道が詰まる。そういう時にすぐに気付いて道をあけると高評価。でなければ低評価。
前から来る人に対してすらろくに道をあけない集団もいる。なぜか女性に多い。女性の気配りと言うのは知り合いには細やかに働くが無関係な人には冷淡だと言う説がある。真偽はわからない。
混んでいるレジで、会計額を聞いてからおもむろに小銭入れをあけ、数えながら小銭を取り出して、あげく足りなくて札を出す人。いうまでもなく低評価。高評価の人たちは、あらかじめ100円以下の端数を払えるか小銭の数を確認している。
閉じた傘をがっしり握って、腕と直角に固定されたそれを腕と一緒に勢い良く振って歩く人。頭がおかしいと言ってよいレベル。
腕の振りはたいしたことなくても、先端を後ろに向けている限り思いがけないトラブルを引き起こす可能性は常にある。特に、上り階段でそういう人の後ろにいるとヒヤヒヤさせられる。自分は傘の先端が常に自分の前方内側を向くようにしている。
混んでいる列車に乗るとき。腕や肩、ひじなどで押して乗るのは素人。誰でも上半身を押されるとバランスを崩すため、バランスが崩れないように反発する。で、乗ろうとする側がムキになってさらに強く、勢い良く押すという泥沼に。実際にそれで喧嘩に発展したケースも目撃した。
おすすめの方法は、上半身はむしろ引き気味にしてまず足を入れ、足を置く位置を確保してからじんわりと腰で押すこと。相手の下半身を動かさせればバランスを崩すこともなく、スムーズに全員が立てる状態に調整される。急激な動きがないから反発もほとんどない。最初に足を置く位置が確保できないなら、別の乗車口を当たるか次の列車にしよう。
こういう日常の所作はかなりその人の人となりを表していると思うのだが、こういうことで身近な人の所作を見ることは意外とないんだよなぁ。プライベートではわざわざ誰かと一緒に人ごみに出たりしないからだろうが。