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電源不要系同人サークル「Paper Entertainment Factory」のアナウンスと、適当な駄文。
お察しの通り、前回の記事で触れた本の続編。
基本的にFKは読書に割く時間が短いのだが、さすがにラノベは読み進むのが早い。

で、感想は「やっぱり、面白くなくはない」。
FKは作品を評価するときに作者の意図を考慮する傾向が強く、たとえば荒削りな作品でも面白い試みがなされていればそのチャレンジを評価して採点を高めにする、というようなことがよくある。
その傾向が逆方向に作用するケースも当然ある。たとえば『深海のYrr』は十分に面白い内容の小説だが、人物配置などに黄色人種差別的な意図が透けて見える(さらにその下に商業的理由での白人への迎合も透けて見える)ので、あれを無条件に面白いと評することは自分にはできない。
そしてこの作品からも「とにかくセンセーショナルな内容にしてやろう」という作者の意図が感じられる。日々消費されるコンテンツの製作をなりわいとする者として、耳目を集めようと考えること自体は批判の対象にはならない。問題は、そのためにとった手段がタブーにより深く踏み込む、という下品で安易なものであることだ。しかもそのせいで論理的整合性に綻びが生じているとあれば、その瑕疵は自分にとって見過ごせるレベルではない。

内容としては、前作の登場人物と関連性のある事件を扱うもので、前作の登場人物もほどよく出てくる理想的な続編だと言える。このへんのバランス感覚は見事だ。
今回はデスゲームバトルロイヤルではなく、ゲーム攻略ドラマに犯人探しのミステリを組み合わせたものになっている。
ゲーム攻略ドラマ、というのは自分が今適当につけた呼び名だが、勝敗が重大な結果につながるゲームを解析して攻略する過程から決着に至るまでを扱うドラマである。こういって総括するとわかりづらいだろうが、例をあげれば理解して貰えるだろう。ライアーゲーム、カイジをはじめとした各種福本作品、嘘喰い。ハンター×ハンターのグリードアイランド編もある意味そうか。
ここで重要なのは、ゲーム開始時にゲームの内容が解析されていないこと。ゲーム上の戦術の試行錯誤や戦術のぶつかり合いなどによる、解析と攻略のプロセスがドラマの根幹なのだから当たり前のことだが、よく知られたゲームを扱っていても必ず何らかのひねりが加わっていて、そのひねりが既知の定石を崩す形になっている。
例に挙げたタイトルがいずれも好評を博しているのはご存知の通りで、ゲーム攻略ドラマはヒット作の多いジャンルだと言っていいだろう。
で、ミステリはここであえて分析しなおす必要もないぐらい定番のジャンルで、それだけ好まれているということだ。
つまりまあ、今回もジャンルの選択というか組み合わせというか、は周到なのである。
しかし…

「また幼女オチかよ」というのが自分のネガティブ感想の全て。他は大目に見てもいい。
読み終わった瞬間は、「なんだ、今回はわりとまともじゃないか。キークがあっけなさすぎなのが少し引っかかるけど、まあ許容範囲かな。今回もキーキャラクタは最年少のキャラなんだけど直接殺しをしてたわけじゃないし10歳なら現実でも同級生殺した事件とかあったし」とか思ってたけど、あらためて考えるとそいつもクラムベリー主催のデスゲームで選抜されたわけで。いやいやいや、6年前のデスゲームに4歳児の知力で勝ち残るとかありえないでしょ。
クラムベリーは戦闘狂なので戦ってもつまんなそうな奴だったから見逃されたっていう可能性もあるけどご都合主義感は否めないし、じゃあそもそもなんでデスゲームの参加者に選んだのよって話。前作は魔法少女もののソーシャルゲームの参加者から適性のある人間を選び出したってことだけど、それぞれの正体をクラムベリーは知らなかった(だから死んだ)。すべてはファヴのせい?にしても試験官が選抜対象の素性を知らないって適当すぎないか?だいたいペチカのときはクラムベリーが直接勧誘してるじゃないか。わかんねーどういうことだ?
結論:作者もちゃんと考えてない。

あと、前作の時点から心の中に存在したもやもやした負の印象が、今作を読んであらためて考えたことではっきりと形になった。
本作の世界観では、魔法少女は「その世界に本来あるべきでないものを排除するために活動する」とか「その世界のことわりの外にあるものに対抗するために活動する」とかの存在ではない。その世界の常識の範囲内で普通に起こる「よくないこと」を防ぐ、道徳の教科書に書いてありそうな善行の延長線上で活動する存在だ。
いわゆる「戦わない魔法少女」はおおむねその範囲と、ときどきささやかな私利私欲のために活動するものであるが、本作には「戦う魔法少女」も出てきてその強大な力を振るうわけで。
そうするとこれはもう、法的なよりどころを持たない一個の暴力装置である。普通に考えてこれはおかしい。
このおかしさを解消するために、警察や軍隊でも対処しきれないスーパーヴィランを登場させることでバランスを取るのが普通。こうなると前述の理外のもの同士の戦いとほぼ同じことになる。
しかし本作ではそういうことはなさそうに見える。むしろ私利私欲で行動し犯罪もいとわない魔法少女がそれに近い。
そうすると、魔法少女になる力を与える「魔法の国」というのは何なのか?という話になる。善悪双方に力を与えれば、何かあったときの被害はより大きくなるわけで、「魔法の国」はただ混沌を深めるだけの存在にすぎないのではないか。
まあ、最終的にはまどマギのキュウベイみたいに「魔法の国」側のろくでもない意図が公開されるのかもしれないが…。
ともかく、現時点ではヴィランの不在により戦う魔法少女の存在が浮いており、「魔法の国」自体がうさんくさいものに感じられる。ヴィランがいればクラムベリーが戦う相手を求めて暗躍する理由もなくなるので、やっぱり魔法少女にデスゲームさせたいという都合ありき、か。

はい。残りは散発的な感想とかツッコミとか。
・今回は帯で煽ってるほど殺し合いじゃない。そもそも、1人しか生き残れないデスゲームバトルロイヤルではない。続編だから続編っぽく売り出したくなるのはわかるけどね。
・キークの動機が「クラムベリーのデスゲームで選抜された魔法少女はイレギュラーな存在だからきちんと選抜しなおす必要がある」というのは額面非常に真っ当。結果それで死ぬということがなければ実のところまったく問題なかった。魔法少女の資格を剥奪するだけでいいだろうに、なぜそうしなかったのか?「デスゲームで選抜されたような奴はたいてい頭のネジが外れた異常者だから別に死んでいいだろ」ということなら、自身の行動の正当性の根拠を自ら失っているようなものなのだが…。そもそもそれなら最初から全員殺せばいいんじゃない?もしくは最初から魔法少女の資格を剥奪するとか…。異常者認定はしているけど再選抜の機会は与える、でも失敗したら死、というのはバランスが変。ゲーム内での死=現実での死、という設定先にありき、と強く感じる。
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プロフィール
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職業:
ゲーム会社勤務
趣味:
電源不要ゲーム
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