電源不要系同人サークル「Paper Entertainment Factory」のアナウンスと、適当な駄文。
東京都道435号線沿いに唯一(と思われる)現存していた、木製の電信柱が先日撤去された。
その存在に気付いたときには「21世紀になって10年以上も経つのに、まだこんなものが使われているとは…」と驚いたものだが、撤去されてしまうと少々さびしさを覚える。
昭和時代に子供が思い描いた典型的な21世紀像は、メタリックな高層建築が建ち並び透明なチューブの中を車が走る都市の姿だが、現在の最先端の都市でさえそういうことにはなっていない。都市外縁部や郊外ではなおさらで、「いつの時代のだよ」というような旧式設備が残っていたりするものだ。
東京都道435号線が都電荒川線と交差するあたりに東池袋四丁目停留場があるのだが、そこから5分も離れていない場所に手押しポンプ式の井戸が残っているのがその一例といえるだろうか。
もっとも、人力で動かす手押しポンプは災害時に有用とのことであり侮れない。旧式の丸ポストなどは観光資源として残している自治体もあり、旧式には旧式なりの活用法もあるということである。自分の町でそういうものを探してみるのも面白いだろう。
その存在に気付いたときには「21世紀になって10年以上も経つのに、まだこんなものが使われているとは…」と驚いたものだが、撤去されてしまうと少々さびしさを覚える。
昭和時代に子供が思い描いた典型的な21世紀像は、メタリックな高層建築が建ち並び透明なチューブの中を車が走る都市の姿だが、現在の最先端の都市でさえそういうことにはなっていない。都市外縁部や郊外ではなおさらで、「いつの時代のだよ」というような旧式設備が残っていたりするものだ。
東京都道435号線が都電荒川線と交差するあたりに東池袋四丁目停留場があるのだが、そこから5分も離れていない場所に手押しポンプ式の井戸が残っているのがその一例といえるだろうか。
もっとも、人力で動かす手押しポンプは災害時に有用とのことであり侮れない。旧式の丸ポストなどは観光資源として残している自治体もあり、旧式には旧式なりの活用法もあるということである。自分の町でそういうものを探してみるのも面白いだろう。
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「失敗は成功の母」という言葉があるが、では成功は何の母なのか。
成功が次の成功と失敗のどちらをもたらすかと考えれば、学習的・心理的側面でいうと失敗のほうを多くもたらしそうな気しかしない。
1つの成功体験に囚われて判断を誤るというのはよくあることだし、何より害が大きいのはある程度の成功をおさめたことで自分がひとかどの人物だと思い込み、自分が専門的な知識を有しない事柄に対しても十分な判断ができると慢心することだと思う。
リーダーシップを発揮しなければならない立場にいる人は「自分の決断を押し通す我の強さ」が必要になるため、それを元々備えているのでなければ自己暗示的に自身に刷り込んでいく。
そしてその我の強さは一歩間違うだけで容易に自己肥大につながり、自己肥大は慢心をもたらす。
革命を成功させた指導者が、その後内政において破滅的な失敗をする…というのがよい例だろう。
闘争に秀でている者が政治に秀でているとは限らない。求められる知識が大きく異なるからだ。指導者が優秀なブレーンを集めて適切に耳を傾ければよいのだが、慢心した指導者は自分の思いつきを誇大妄想的に高く評価して実行を指示してしまう。会社でもよくある話だ。
要するに、人間なにをどんなに成功したところで万能で完璧な存在になったことを意味するわけではありえないので、謙虚さを持ち続けるべきということである。「無知の知」というやつだ。
精神的な謙虚さは必ず態度に表れるので、偉そうな態度をとる人間は自らの愚かしさと矮小さを誇示しているようなものだとも言える。軽蔑してよいと思います。
成功が次の成功と失敗のどちらをもたらすかと考えれば、学習的・心理的側面でいうと失敗のほうを多くもたらしそうな気しかしない。
1つの成功体験に囚われて判断を誤るというのはよくあることだし、何より害が大きいのはある程度の成功をおさめたことで自分がひとかどの人物だと思い込み、自分が専門的な知識を有しない事柄に対しても十分な判断ができると慢心することだと思う。
リーダーシップを発揮しなければならない立場にいる人は「自分の決断を押し通す我の強さ」が必要になるため、それを元々備えているのでなければ自己暗示的に自身に刷り込んでいく。
そしてその我の強さは一歩間違うだけで容易に自己肥大につながり、自己肥大は慢心をもたらす。
革命を成功させた指導者が、その後内政において破滅的な失敗をする…というのがよい例だろう。
闘争に秀でている者が政治に秀でているとは限らない。求められる知識が大きく異なるからだ。指導者が優秀なブレーンを集めて適切に耳を傾ければよいのだが、慢心した指導者は自分の思いつきを誇大妄想的に高く評価して実行を指示してしまう。会社でもよくある話だ。
要するに、人間なにをどんなに成功したところで万能で完璧な存在になったことを意味するわけではありえないので、謙虚さを持ち続けるべきということである。「無知の知」というやつだ。
精神的な謙虚さは必ず態度に表れるので、偉そうな態度をとる人間は自らの愚かしさと矮小さを誇示しているようなものだとも言える。軽蔑してよいと思います。
1は見送って、2の中古価格が手ごろな値段まで落ちていたので買ってみた。
内容はまるっきり仮面ライダー無双で、いろんなところで作りこみが甘いが、手持ちのライダー挿入歌やライダーBGMを取り込んでカスタムサウンドトラックを設定して遊ぶと、なりきりゲーとしてそこそこ楽しい。
そしてカブト(クロックアップ)のチート性能っぷりはガチ。
内容はまるっきり仮面ライダー無双で、いろんなところで作りこみが甘いが、手持ちのライダー挿入歌やライダーBGMを取り込んでカスタムサウンドトラックを設定して遊ぶと、なりきりゲーとしてそこそこ楽しい。
そしてカブト(クロックアップ)のチート性能っぷりはガチ。
フランスパン系の2D対戦格闘。フランスパン系はPS2のメルブラしか持っていなかったので新しい対戦ツールとして買ってみた。それが実は発売翌週のことだったりする。つまり現時点で2ヶ月ほど稼動させているということになる。
弱攻撃連打で簡易コンボが出たり、切り返し技が全キャラ共通で弱中同時押しだったりと新参でもとっつきやすい作り。その一方、いわゆるEX技や超必殺技に使うゲージ以外にブラストゲージがあり、消費型の「切り札」があり、と上達のために憶えるべきことはやや多い。
プレイヤーキャラは14種と対戦格闘としてはやや少ないが、2D対戦格闘の新規タイトルならやむをえないか。
サポートキャラの選択で弱点を補ったりできることもあって、対戦バランスは良好。ライフが負けている側はリフレクションガードのゲージ消費が無かったり、ライフが一定値を切ると攻撃力がブーストされたり、一本取られたら切り札の数が補充されたりとシステム的にも一方的な試合になりにくいよう工夫がされている。
というわけでまあ、家で遊ぶときの対戦ツールとして重宝してます。
あと、原作理解のためにアニメを視聴したりとかも。
俺妹、ブラックブレット、アクセルワールド、SAO、レールガン、魔法科高校の劣等生、ストライクザブラッド、ロウきゅーぶ、と来て今はデュラララを視聴中。
「原作理解のために視聴」って同人誌買ってたころはよくやってたなぁと思いつつ見てた。こういうモチベの生まれ方って結構重要だよね。コラボやメディアミックスが効果的な所以でもある。
弱攻撃連打で簡易コンボが出たり、切り返し技が全キャラ共通で弱中同時押しだったりと新参でもとっつきやすい作り。その一方、いわゆるEX技や超必殺技に使うゲージ以外にブラストゲージがあり、消費型の「切り札」があり、と上達のために憶えるべきことはやや多い。
プレイヤーキャラは14種と対戦格闘としてはやや少ないが、2D対戦格闘の新規タイトルならやむをえないか。
サポートキャラの選択で弱点を補ったりできることもあって、対戦バランスは良好。ライフが負けている側はリフレクションガードのゲージ消費が無かったり、ライフが一定値を切ると攻撃力がブーストされたり、一本取られたら切り札の数が補充されたりとシステム的にも一方的な試合になりにくいよう工夫がされている。
というわけでまあ、家で遊ぶときの対戦ツールとして重宝してます。
あと、原作理解のためにアニメを視聴したりとかも。
俺妹、ブラックブレット、アクセルワールド、SAO、レールガン、魔法科高校の劣等生、ストライクザブラッド、ロウきゅーぶ、と来て今はデュラララを視聴中。
「原作理解のために視聴」って同人誌買ってたころはよくやってたなぁと思いつつ見てた。こういうモチベの生まれ方って結構重要だよね。コラボやメディアミックスが効果的な所以でもある。
うちの家の向きと窓のつき方だと、午前10時ごろから正午ごろにかけて、差し込んでくる光がまぶしくてPCの前に座っていられないような状態になる。
それで、「しかたない、どこか出かけるか…」という気分になって出かけるという次第。出不精を強制的にどうにかしてくれる要素になっているのでそちらの窓にブラインドやカーテンを取り付ける予定はない。
で、今日はPSPの中古ソフトを漁りに出かけた。かつてメガドライブの終末期にやったように、またPS2の終末期にもやったように。終末期にはソフトの評価が十分出揃っているのに加え、中古を売る側にも新しいハードの商品を置くために旧ハードのソフトを捌いてしまいたいという心理が働くため、良い物をお手ごろ価格で買えるタイミングなのである。品薄化が起こってしまうこともあるが、そういうものを捜し求めるのもまた一興。
今日買ったのは「FATE EXTRA/CCC」と「円卓の生徒 The Eternal Legend」の2本。どちらもジャンルはRPG。プレイ時間が長くなりがちなRPGは、場所を選ばずにプレイできる携帯機向けだと思う。もはや据え置き機ではほとんど見かけないトラディショナルな擬似3Dダンジョン探索RPGが、携帯機だと豊富にあるのも嬉しいところ。
前者は「FATE EXTRA」の続編。そちらもすでに買っておいてある(未プレイだが)。
後者はけっこう品薄で、あちこち回ってようやく見つけた感じ。
なお、RPGではないが「密室のサクリファイス」というソフトも探していた。しかしこれはどこにも見つからず。今日は新宿やアキバにまでは行かなかったので、次の機会にはそのへんまで足を伸ばしてみるとしますか。
え?そんなことより積みゲーを崩せって?いや、やってはいますよ?少しづつ。
あと、今日いろいろ回って気付いた変化。
・新目白通りと明治通りの交差点付近にあったゲオが閉店してた。まあ、正直立地は良くなかったしなぁ…。無理もないね。
・護国寺にあったマクドナルドがいつのまにかロッテリアになってた。スーパーとかでよくあるけど同業他社に取って代わられると元の会社が衰退した印象が強いなぁ。迷走を繰り返したうえに中国産鶏肉の問題…大丈夫かねマクドナルド。まあ、たぶんもうファーストフード店でハンバーガー食うことなんてないと思うけど。
・雑司が谷商店街にあった地元コンビニ…名前はデイリーストアだっけ?よく憶えてない。が、近くにセブンイレブンが進出してきて1~2年ぐらいで閉店していたのは知っていたが、その跡地がいつのまにか「子育て・介護支援NPO法人」とかいう謎のものに変化していた。少子高齢化対策…なのか?
それで、「しかたない、どこか出かけるか…」という気分になって出かけるという次第。出不精を強制的にどうにかしてくれる要素になっているのでそちらの窓にブラインドやカーテンを取り付ける予定はない。
で、今日はPSPの中古ソフトを漁りに出かけた。かつてメガドライブの終末期にやったように、またPS2の終末期にもやったように。終末期にはソフトの評価が十分出揃っているのに加え、中古を売る側にも新しいハードの商品を置くために旧ハードのソフトを捌いてしまいたいという心理が働くため、良い物をお手ごろ価格で買えるタイミングなのである。品薄化が起こってしまうこともあるが、そういうものを捜し求めるのもまた一興。
今日買ったのは「FATE EXTRA/CCC」と「円卓の生徒 The Eternal Legend」の2本。どちらもジャンルはRPG。プレイ時間が長くなりがちなRPGは、場所を選ばずにプレイできる携帯機向けだと思う。もはや据え置き機ではほとんど見かけないトラディショナルな擬似3Dダンジョン探索RPGが、携帯機だと豊富にあるのも嬉しいところ。
前者は「FATE EXTRA」の続編。そちらもすでに買っておいてある(未プレイだが)。
後者はけっこう品薄で、あちこち回ってようやく見つけた感じ。
なお、RPGではないが「密室のサクリファイス」というソフトも探していた。しかしこれはどこにも見つからず。今日は新宿やアキバにまでは行かなかったので、次の機会にはそのへんまで足を伸ばしてみるとしますか。
え?そんなことより積みゲーを崩せって?いや、やってはいますよ?少しづつ。
あと、今日いろいろ回って気付いた変化。
・新目白通りと明治通りの交差点付近にあったゲオが閉店してた。まあ、正直立地は良くなかったしなぁ…。無理もないね。
・護国寺にあったマクドナルドがいつのまにかロッテリアになってた。スーパーとかでよくあるけど同業他社に取って代わられると元の会社が衰退した印象が強いなぁ。迷走を繰り返したうえに中国産鶏肉の問題…大丈夫かねマクドナルド。まあ、たぶんもうファーストフード店でハンバーガー食うことなんてないと思うけど。
・雑司が谷商店街にあった地元コンビニ…名前はデイリーストアだっけ?よく憶えてない。が、近くにセブンイレブンが進出してきて1~2年ぐらいで閉店していたのは知っていたが、その跡地がいつのまにか「子育て・介護支援NPO法人」とかいう謎のものに変化していた。少子高齢化対策…なのか?
雑司が谷は猫が多い土地柄。霊園の中で見かけることもしばしば。
童謡に「猫はコタツで丸くなる」というフレーズがあるが、ここのところ寒さが厳しくなってきたせいか、霊園内で積もった落ち葉の山にうずまって丸くなっていたり、墓碑と石組みの間の狭いスペースに落ち葉がたまっているところに潜り込んでいたりするのを見かけてほっこりした。
特段猫好きというほどでもない自分が和まされるぐらいだから、猫好きにとってはたまらない土地かもしれないな、雑司が谷は。
童謡に「猫はコタツで丸くなる」というフレーズがあるが、ここのところ寒さが厳しくなってきたせいか、霊園内で積もった落ち葉の山にうずまって丸くなっていたり、墓碑と石組みの間の狭いスペースに落ち葉がたまっているところに潜り込んでいたりするのを見かけてほっこりした。
特段猫好きというほどでもない自分が和まされるぐらいだから、猫好きにとってはたまらない土地かもしれないな、雑司が谷は。
公式の2014世界選手権カバレッジ中のインタビューで渡辺雄也選手が「モダンで宝船の巡航が強すぎるし、時を越えた探索、ジェスカイの隆盛、包囲サイ、カマキリの乗り手、凶暴な拳刃なんかも使われてる。タルキールっていうエキスパンション自体が強い。未来予知みたいに結構なプレミアがつくと思う」って感じのことを言っています。
が、ゼンディカーのことを考えれば、フェッチランドが入っているってだけでもプレミアがつくのは確実だと思います。スタン落ちして2年もすればもう爆騰してそう。
が、ゼンディカーのことを考えれば、フェッチランドが入っているってだけでもプレミアがつくのは確実だと思います。スタン落ちして2年もすればもう爆騰してそう。
しばしば統治者側は自分達に都合がいいことを国民に信じさせやすくするためや自分達に都合の悪いことを国民が気付かなくするために愚民化政策を行うし、国内の不満を外に反らすために排外的ナショナリズムを煽る。
しかし、民主主義体制下でこの愚民化政策と排外的ナショナリズムの扇動があまりに成功しすぎるとどうなるか。
排外的ナショナリズムで叩いている対象の国と外交的に協力しなければならない事態に陥ったときに、国民の反対によってそちらに舵取りができなくなってしまうのである。
独裁体制であれば国民が何を言ったところで必要な政策を採ることができるが、まがりなりにも民主主義の体制なのであれば、政治家は民意に反することができない。事前にそのような政策の支持を表明すれば選挙で当選できないし、任期中であれば支持を失うし、どちらにしても以後政治生命を絶たれてしまう。
つまりこれは外交的な選択肢を奪われたに等しい。合理的な選択ができない国民のもとでは合理的な政治も行われない、と言ってしまえばそれだけの話だが、民主主義体制において国民の合理的思考能力がどれだけ大切であるかを痛感する。もとより、民主主義体制で想定する理想的な「市民」というのは、十分な合理的思考能力と政治への関心を持ち合わせていなければならないのである。
民主主義体制が成熟していくためには、国民をこの理想的な「市民」に近づけるための教育を進めていくことが肝要なのだが、逆に愚民化政策を行ってしまうと、一見統治者側に都合がよさそうに見えるが、結果的には不合理な選択に振り回される不安定な体制にならざるをえない。しかも一旦この状態に陥ってしまえば、自浄作用も期待できない。政治腐敗が横行し、貧富の差が増大して国民は活力を失い、一部の人間が国富を吸い上げたうえで海外に逃げ出し、それを阻止するために誰かがクーデター的な強権発動を行い、独裁体制に移行すると思われる。
もしくは、外的要因によって崩壊することになるか…。
具体的にそれがいつになるかはわからない。しかし、このままではいずれ確実に、ある成功例が巨大な国家的失敗をもたらす結果を見ることになるだろう。
しかし、民主主義体制下でこの愚民化政策と排外的ナショナリズムの扇動があまりに成功しすぎるとどうなるか。
排外的ナショナリズムで叩いている対象の国と外交的に協力しなければならない事態に陥ったときに、国民の反対によってそちらに舵取りができなくなってしまうのである。
独裁体制であれば国民が何を言ったところで必要な政策を採ることができるが、まがりなりにも民主主義の体制なのであれば、政治家は民意に反することができない。事前にそのような政策の支持を表明すれば選挙で当選できないし、任期中であれば支持を失うし、どちらにしても以後政治生命を絶たれてしまう。
つまりこれは外交的な選択肢を奪われたに等しい。合理的な選択ができない国民のもとでは合理的な政治も行われない、と言ってしまえばそれだけの話だが、民主主義体制において国民の合理的思考能力がどれだけ大切であるかを痛感する。もとより、民主主義体制で想定する理想的な「市民」というのは、十分な合理的思考能力と政治への関心を持ち合わせていなければならないのである。
民主主義体制が成熟していくためには、国民をこの理想的な「市民」に近づけるための教育を進めていくことが肝要なのだが、逆に愚民化政策を行ってしまうと、一見統治者側に都合がよさそうに見えるが、結果的には不合理な選択に振り回される不安定な体制にならざるをえない。しかも一旦この状態に陥ってしまえば、自浄作用も期待できない。政治腐敗が横行し、貧富の差が増大して国民は活力を失い、一部の人間が国富を吸い上げたうえで海外に逃げ出し、それを阻止するために誰かがクーデター的な強権発動を行い、独裁体制に移行すると思われる。
もしくは、外的要因によって崩壊することになるか…。
具体的にそれがいつになるかはわからない。しかし、このままではいずれ確実に、ある成功例が巨大な国家的失敗をもたらす結果を見ることになるだろう。
世の中にはいろんな陰謀説がある。
有名なものとしては9.11陰謀説、エイズ生物兵器説、『アポロは月に着いてない』などがある。
見るからに荒唐無稽なものも多い…。東日本大震災地震兵器説とか。
しかし、「陰謀論」とか「陰謀論者」というレッテル貼りには注意したほうがいい。
実際に歴史の背後で陰謀がめぐらされ様々な事件が引き起こされてきたという事実があるからだ。
こういった陰謀をめぐらした側にとっては、当然その陰謀を指摘されては困る。ひそやかに行うからこその陰謀なわけで。だから、陰謀を指摘する言説を「陰謀論だ!」と言って貶め、信憑性を落とさせることに十分な理由がある。
つまり、陰謀説を「陰謀論」と言って安易に切って捨てるのは、陰謀を行う側のプロパガンダにうまうまと乗せられている可能性があるというわけだ。
これは広く捉えれば結局メディアリテラシーの問題である。発信された情報は正確なものであるとは限らず、むしろ発信する側の思惑で歪められている可能性が高いと考え、さまざまな情報源からの情報を利用して多角的に物事を分析するようにしなければならない。
今日、インターネットの発達によって、さまざまな情報に触れることが可能になった。もちろんクズ情報やデマもある。しかし、かつて大手メディアにだけ許されていた情報の発信が誰にでも可能になったことの意味は大きく、陰謀を指摘する情報の発信そのものをストップさせることはいまや困難になっている。そこで、情報の信憑性を貶めようとするプロパガンダが、陰謀を守りたい勢力の主な防御手段となるのだ。
かつて、「ネット情報」といえばうさんくさいものの代表のように思われていた。しかし、今ではそういう印象はない。この印象自体、ネット情報を貶めて情報発信の独占権を維持しようとする大手メディアのプロパガンダで与えられたものであったかもしれない。この考え方もまた陰謀説ということになろうか。しかし、こういう懐疑的視点を常に持っておくことは大切である。でなければ易々とだまされるカモになるしかない。
有名なものとしては9.11陰謀説、エイズ生物兵器説、『アポロは月に着いてない』などがある。
見るからに荒唐無稽なものも多い…。東日本大震災地震兵器説とか。
しかし、「陰謀論」とか「陰謀論者」というレッテル貼りには注意したほうがいい。
実際に歴史の背後で陰謀がめぐらされ様々な事件が引き起こされてきたという事実があるからだ。
こういった陰謀をめぐらした側にとっては、当然その陰謀を指摘されては困る。ひそやかに行うからこその陰謀なわけで。だから、陰謀を指摘する言説を「陰謀論だ!」と言って貶め、信憑性を落とさせることに十分な理由がある。
つまり、陰謀説を「陰謀論」と言って安易に切って捨てるのは、陰謀を行う側のプロパガンダにうまうまと乗せられている可能性があるというわけだ。
これは広く捉えれば結局メディアリテラシーの問題である。発信された情報は正確なものであるとは限らず、むしろ発信する側の思惑で歪められている可能性が高いと考え、さまざまな情報源からの情報を利用して多角的に物事を分析するようにしなければならない。
今日、インターネットの発達によって、さまざまな情報に触れることが可能になった。もちろんクズ情報やデマもある。しかし、かつて大手メディアにだけ許されていた情報の発信が誰にでも可能になったことの意味は大きく、陰謀を指摘する情報の発信そのものをストップさせることはいまや困難になっている。そこで、情報の信憑性を貶めようとするプロパガンダが、陰謀を守りたい勢力の主な防御手段となるのだ。
かつて、「ネット情報」といえばうさんくさいものの代表のように思われていた。しかし、今ではそういう印象はない。この印象自体、ネット情報を貶めて情報発信の独占権を維持しようとする大手メディアのプロパガンダで与えられたものであったかもしれない。この考え方もまた陰謀説ということになろうか。しかし、こういう懐疑的視点を常に持っておくことは大切である。でなければ易々とだまされるカモになるしかない。
すっかり日が短くなって、家と駅との最短経路を通ると帰りには真っ暗になってしまうところがあるのだが。
街灯や住宅の明かりからも遠く離れた場所なので、目が暗順応するまでは足元もわからないぐらいの本当に真っ暗な状態。
そこを通っていて、曇りの日と晴れの日では曇りの日のほうが明るいことに最近気付いた。曇りの日は暗順応がどうとか考えなくても十分周囲が見通せるのだ。なぜだろうか?
考えられるのは以下の2つ。
(1)太陽が地平線に沈んでいても雲にはまだ陽の光が当たっているから
(2)地上の光が雲に反射しているから
(1)は深夜にそこを通ってみれば真偽がわかるだろう。が、夕焼けのように空の片側が明るくなり反対側が暗くなっているような感じではないから、これが理由ではなさそうに思える。
(2)は不夜城の如き都心部であることを考えればすごくありそうな話だ。
ともかく、この事実を踏まえると、定番の脅し文句である「月のない夜は背後に気をつけるんだな!」は「晴れてて月のない夜は背後に気をつけるんだな!」と言わないと正確さを欠くことになるのかも。
街灯や住宅の明かりからも遠く離れた場所なので、目が暗順応するまでは足元もわからないぐらいの本当に真っ暗な状態。
そこを通っていて、曇りの日と晴れの日では曇りの日のほうが明るいことに最近気付いた。曇りの日は暗順応がどうとか考えなくても十分周囲が見通せるのだ。なぜだろうか?
考えられるのは以下の2つ。
(1)太陽が地平線に沈んでいても雲にはまだ陽の光が当たっているから
(2)地上の光が雲に反射しているから
(1)は深夜にそこを通ってみれば真偽がわかるだろう。が、夕焼けのように空の片側が明るくなり反対側が暗くなっているような感じではないから、これが理由ではなさそうに思える。
(2)は不夜城の如き都心部であることを考えればすごくありそうな話だ。
ともかく、この事実を踏まえると、定番の脅し文句である「月のない夜は背後に気をつけるんだな!」は「晴れてて月のない夜は背後に気をつけるんだな!」と言わないと正確さを欠くことになるのかも。