電源不要系同人サークル「Paper Entertainment Factory」のアナウンスと、適当な駄文。
サンペテは一片の贅肉もないボクサーの肉体のように、非常に美しく洗練されたシステムを持つゲームだが、上家に勝利を度外視したプレイをされると下家に勝ち目はなくなる。直接攻撃は無いゲームなのに。
つまりゲームバランスにプレイヤー任せな部分のあるゲームだといえる。
もっとも、そういうゲームは珍しくはない。セリをシステムの主軸に据えたゲームは確実にゲームバランスがプレイヤー任せであるし、3人以上でプレイするマルチゲームで何らかのインタラクションのあるゲームはほとんどがこれに該当するといえる。そういったゲームの場合、誰かが意図的にゲームバランスを壊そうとしたなら、ゲームバランスはたやすく崩壊する。それは当たり前のことだ。逆に、意図的にゲームバランスを壊そうとしてもそれが不可能なゲームは、インタラクションが無さ過ぎるゲームと言ってもいいかもしれない。
が、サンペテで特に強くこの問題を感じるのは、「被害は常に下家がかぶり、下から上に報復することが不可能に近いこと」と、「意図的に勝利を度外視したプレイをしなくても、上家がアンチセオリーなプレイを選択したり失策を犯した場合のしわよせを下がこうむるハメになること」の2点だ。
前者の非対称さは、被害を受けた側が報復して加害者に痛みを教え込む機会を奪い、結果的に加害者の学習を阻害する。後者はいろいろな戦法を試してみることが本人だけでなく下家も巻き込むことになりかねないため、自由なプレイの妨げになる。どちらにせよ、全く好ましくない話だ。
カードをめくる枚数が可変であるところが問題の源なのはほぼ間違いないため、ここをシンプルかつ秀逸なアイデアで置き換えることができれば評価は一変すると思うのだが…。
型落ち処理の階層を増やすのは一定の効果が見込めそうだが、ターンごとの処理が煩雑化するのも考え物だ。なかなか容易に答えは出てきそうにない。
つまりゲームバランスにプレイヤー任せな部分のあるゲームだといえる。
もっとも、そういうゲームは珍しくはない。セリをシステムの主軸に据えたゲームは確実にゲームバランスがプレイヤー任せであるし、3人以上でプレイするマルチゲームで何らかのインタラクションのあるゲームはほとんどがこれに該当するといえる。そういったゲームの場合、誰かが意図的にゲームバランスを壊そうとしたなら、ゲームバランスはたやすく崩壊する。それは当たり前のことだ。逆に、意図的にゲームバランスを壊そうとしてもそれが不可能なゲームは、インタラクションが無さ過ぎるゲームと言ってもいいかもしれない。
が、サンペテで特に強くこの問題を感じるのは、「被害は常に下家がかぶり、下から上に報復することが不可能に近いこと」と、「意図的に勝利を度外視したプレイをしなくても、上家がアンチセオリーなプレイを選択したり失策を犯した場合のしわよせを下がこうむるハメになること」の2点だ。
前者の非対称さは、被害を受けた側が報復して加害者に痛みを教え込む機会を奪い、結果的に加害者の学習を阻害する。後者はいろいろな戦法を試してみることが本人だけでなく下家も巻き込むことになりかねないため、自由なプレイの妨げになる。どちらにせよ、全く好ましくない話だ。
カードをめくる枚数が可変であるところが問題の源なのはほぼ間違いないため、ここをシンプルかつ秀逸なアイデアで置き換えることができれば評価は一変すると思うのだが…。
型落ち処理の階層を増やすのは一定の効果が見込めそうだが、ターンごとの処理が煩雑化するのも考え物だ。なかなか容易に答えは出てきそうにない。
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