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電源不要系同人サークル「Paper Entertainment Factory」のアナウンスと、適当な駄文。
ここ一年ほどの間に2つのストーカー事件が世の中を騒がせた。
ストーカーにはいろんなパターンがあるらしいが、振られた男がストーカーと化す事件がやはり数・深刻さともに目立っているように思う。

恋愛の一般的な効能の一つに「自己を肯定されている感覚が得られること」があると思うが、それの裏返しは自己を否定されている感覚なわけで、いろんな物事と比較して考えても精神的に相当なダメージを与える事柄だろう。

駄目もとで気軽に交際を始めて、フィーリングがあったら交際を続ける…という軽~いスタンスであれば別れてもダメージは少ないだろうが、時間を掛けてじっくり恋心を育てた片思いとかだと精神的に重すぎて、それを失うのは心の一部をもぎとられるような痛みを伴うのは必定。

そう考えてみると、恋愛における一途さ・純情さなど恋愛ストーリーの美しさを引き立てるためぐらいの価値しかなく、現実に生きていくうえではむしろ有害ではないか?と思えてならない。愛情は友情と同じく時間をかけて醸成されるもので、恋心とは別物であるとするならば、恋心こそが毒なのか。交際を申し込むきっかけにはいいかもしれないが、長い間溜め込むようなものではないということか。

また、特にバブル期前からバブル期にかけて続けられていた『恋愛至上主義』---を掲げた商業的プロパガンダ…その実態は女の物欲を煽ることで男に金を使わせようという『恋愛商業主義』にほかならない---も、恋愛せずば人にあらず的な価値観を当時の人々に植え付けたように思う。

これに嫌気がさした男は二次元に適応したりして現実の恋愛から距離を置くようになったのだが、そのような適応が出来なかった男は恋愛への満たされない想いを抱えたまま生き続けたわけで…これが世の中で発生したストーカー事件の何割かの原因の一つだと考えるのは飛躍だろうか?
中国の一人っ子政策は壮大な社会実験だと言われた。しかし社会への大規模な働きかけは全て何らかの社会実験である。大量生産大量消費を促す商業的プロパガンダが大量の肥満者を生み出し、恋愛を商業化するプロパガンダが大量のストーカーを生み出したと後世の研究者達が結論付けたとしても、自分は少しも不思議には思わない。
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すき家は「ブラック企業」か?小川会長「レッテル貼りはやめてほしい」

ことここに及んだ段階で「レッテル貼りはやめてほしい」というのは驚くほど的外れですね。
とりあえずマスコミにブラック企業の話題が出るたびにすき家の名前を出されるような事態は避けたいんでしょうが、一般大衆のレベルで言えば「ブラック企業」っていうのは実態が無いのにレッテルだけが一人歩きするような性質のものでは無いと思うのですよ。

「居眠りで交通事故3回」「20キロ痩せた」すき家・従業員の悲痛な声(調査報告)


こういう実情を聞いて、こんな環境で働くのはまっぴらごめんだという感慨がブラック企業という印象を形作る、それだけのことだと思うのです。そしてこれは内部の人間が「そんな例ばっかじゃないよ!ちゃんとしてる所もあるよ!」と言っても打ち消せる話じゃない。現にブラックな形態で人を働かせていたという事実があるのなら、それが全体の1%にも満たない極めて例外的な自体だというのでもない限り、ブラック企業と評されることは避けられず、それによる悪影響も避けられない。社会的信用を失う、というのはそういうことでしょう。

それにしても、外食チェーンはほんと過酷な労働環境のようですね…。
ブラック企業筆頭のワタミをはじめ、私と個人的なかかわりがある範囲だけでも、大学の同期がマクドナルドで心身を壊して退職してたり、弟がドトール系列の店で遠方に朝5時出勤を強いられ、家から通えずにカプセルホテル暮らしを続けてたことがあったとか、聞くだにぞっとしますね。同業他社がああだから、と互いに過酷さをエスカレートさせていったのでしょうか…。

「ゴルガリ・ビート」
<クリーチャー 23>
4 ロッテスのトロール
3 漁る軟泥
2 旅するサテュロス
2 縞痕のヴァロルズ
3 加護のサテュロス
3 責め苦の伝令
4 屍体屋の脅威
2 荒野の収穫者
<呪文 12>
4 突然の衰微
4 英雄の破滅
2 地下世界の人脈
2 ナイレアの弓
<土地 25>
4 草むした墓
4 疾病の神殿
2 ゴルガリのギルド門
8 沼
6 森
1 変わり谷
<サイドボード15>
1 ゴルガリの魔除け
4 霊気のほころび
2 強迫
4 化膿
1 信者の沈黙
3 究極の価格


以前に考察したとおり、突然の衰微と英雄の破滅という2種類の高い汎用性を持った除去をメインに積めて、サイドにもさまざまな対策を用意しておける黒緑が、受けが広くて手堅く強い。
ほかはいろんなシナジーを考慮して採用しており、面白くかつパワフル。
屍体屋の脅威は趣味のカードの部類であるが、ロッテスのトロール・ナイレアの弓・ヴァロルズ・漁る軟泥といったカウンターを乗せる効果を著しく強化し、はまったときの破壊力はあなどれない。ロッテスのトロールは除去耐性・自己強化・トランプルという3つの能力がいずれも強力で、2マナにしてこのデッキのエース級。ディスカードがヴァロルズや軟泥とシナジーがあるのも見逃せないポイント。ナイレアの弓は接死付与と強化はどちらもトロールと相性が良く、やや手薄であるところの飛行対策にもなり、地下世界の人脈のライフロスもカバーできる。ヴァロルズは消耗戦に強く、加護のサテュロスあたりは3マナで+1/+1カウンタを4つ置けるのでコスト対効果も素晴らしい。屍体屋の脅威があればさらに馬鹿げたサイズになる。漁る軟泥も消耗戦に強く、地下世界の人脈のライフロスをカバーしてくれるが、自分の墓地のクリーチャーの利用はヴァロルズと競合する。旅するサテュロスはやや重めなこのデッキのマナ総量を増やしつつ、ダブルシンボルが出せない自体を回避し、1枚の地下世界の人脈を1ターンに複数回使ったりもできるナイスガイ。女人像と違ってパワーが1あるのでヴァロルズで活用する意味があるのも地味に役立つケースはあるはず。加護のサテュロスはコンバットトリックであり、授与で使うことで除去の効能を落とすことができ、ヴァロルズで活用したときのマナ効率が最高のカード。責め苦の伝令は黒緑に欠けがちな回避能力を補うカードで、このカードを引くことで一気に決着がつくことも多い。活用や加護のサテュロスで強化すれば自身でも十分フィニッシャーになれる。
荒野の収穫者はトロールとはまた違った除去耐性の持ち主で、単体除去頼みの除去コンなどには強烈な強さを発揮する。呪禁があるので各種強化の土台に向いている。
…とまあ、いろいろなシナジーを構成していて使っていて楽しいデッキ。どんなデッキ相手でも、サイドボード込みで十分渡り合うことができ、「詰んだ!」とか「相性負け!」とかになりにくいところも良い。メタにあわせて多少はいじるだろうが、ラヴニカの回帰がスタンダードリーガルの間はずっとこのデッキを持ち続けると思う。

ニュースから引用。

毎日新聞 2014年07月02日 19時00分

兵庫県の野々村竜太郎県議(47)=無所属=が2013年度、東京や福岡など4カ所への日帰り交通費として、他県議と比べて突出した195回分、計 約300万円を政務活動費から支出していたことが2日までに、収支報告書の記載で分かった。具体的活動の記載がなく、例外規定を使って領収書も添付してい なかった。

 11年度と12年度にも同様に交通費として、約150回分、計約480万円を支出していた。

 野々村県議は1日の記者会見で号泣し「精力的な活動の結果で、うそや偽りはない」と明言。経路や金額の根拠については「記憶にない」などと話し、活動内容などについては説明を拒否した。(共同)

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ん~まったくもって論外。
自分が厳しく追及される立場のときに泣いてみせて心証を良くしようっていうのがそもそも、万引きした小学生レベル。
いや、小学生が泣いてみせる場合でも「二度とやらないから、反省してるから(親や学校に連絡するのだけは)許して」という戦術をとるね。悪いことはしてないと主張しつつ号泣、とか意味がわからない。

本当に何一つ恥じることがないのであれば堂々としていればいいのに、なぜ取り乱したところを見せるのか?はっきりいって、泣いてみせても誰の心証も良くならないよ。10人に10人がポーズだって理解するし、有耶無耶にしたいから泣いてみせているんだと受け取るから。

自分は必ずしも政治家に清廉潔白を要求するわけではない。特に、諸外国と渡り合うなら多少ふてぶてしいほどにしたたかであったほうが頼もしいと思っている。
そういう政治家が、権力基盤を固めるために巨額の資金提供を受けていたとか、その見返りに企業に便宜を図ったとかの汚職事件を起こすのは、効き目の強い薬の副作用のようなもので、ある程度は仕方ないかな、と許容する気持ちがある。もちろん無いにこしたことはないのだが、功績と罪過、プラスとマイナスを足し合わせて出た収支で政治家を評価するスタンスなのだ。

でも兵庫県議程度の小物ではどっちにせよダメだね。成せる功績もたかがしれてるうちに罪過が積まれるようじゃお話にならない。
とりあえず、このニュースを受け取る立場にある人は全員「号泣してみせれば乗り切れる」とタカをくくられていたわけで、怒っていい。
あとこの県議に投票した人は見る目がなかったことを反省していい。


Web上でこんな記事を見つけた。

ソーシャルゲーム批判 - 文人商売

鋭い分析も含んではいるが、これはちょっと…。
自分はこの記事の作者にケンカを売りたいわけでもソーシャルゲームを擁護したいわけでもないが、あまりにも重大な視点が欠落しているので筆を取った。

ソーシャルゲームの「ソーシャル」とは?

この記事ではソーシャルゲームを「ゲームとプレイヤー」の二者間の関係性だけで捉えており、「ゲームと、複数のプレイヤー」という関係性についての考察が一切ない。ソーシャルゲームに「ソーシャル」と冠される所以、ゲーム内での体験を通じてプレイヤー間で連帯感や優越感を感じてもらう、そしてゲーム内での人間関係を捨て去りがたいものと感じさせることでゲームを続けてもらう、という構造を把握しなければ、スタンドアローン的に遊べるゲームシステム部分だけを論評しても意味がない。
対戦プレイ・協力プレイでの面白さを追求したゲームを1人だけで遊んだときの感想を書いているようなものだ。ソーシャル性をAIに代行させることは困難なので、AIは無し。対戦格闘ゲームのトレーニングモード単体でのプレイ感…とでも言えばいいだろうか。

別の例を挙げよう。この記事中にもあるTRPGだが、あれは事情を知らない人間が傍から見るとプレイヤー達が冒険者側、ゲームマスターがモンスター側となって勝敗を争うゲームのように見えるが、あれをプレイヤーVSゲームマスターの勝負として考えるとゲームとして破綻している。ゲームマスターには無制限の裁量が与えられているからだ。TRPGは、ゲームマスターとプレイヤー全員を含めてプレイ体験を楽しむコミュニケーションゲームとして捉えなければ意味をなさない。
構成要素の一部だけ取り出してみたときの印象では全体としての評価はできない、という例である。

この記事だけでなく、Webに溢れるソーシャルゲームに対する論考にはビジネルモデルとスタンドアローン的なゲームシステムにだけ注目した内容のものが多い。
ソーシャル性をあまり活用していないゲームもあるだろうが、大部分の書き手は自分できちんとソーシャルゲームをやり込んでみていないのだろう。実のところ、自分もある程度まともにソーシャルゲームをやり込んでみるまでは、暴利を貪っているようにしか見えないビジネスモデルと、スタンドアローン的なゲームシステムが単純安易このうえないことへの反感が強くあった。ゆとりゲーここに極まれりとか、こんなゲームがもてはやされるようではデジタルゲームの文化は死ぬとか思っていた。
大部分のソーシャルゲームでは導入部から中盤にかけてぐらいは他のプレイヤーとの関わりが薄い、ないしはほとんど無い。そして中盤を過ぎてからソーシャル性の比重が増していく。このバランスは気軽にゲームを始めてもらうための配慮だろうが、そこに至るまでソーシャル性のなんたるかを理解してもらえないという弱点でもある。
だが、ソーシャル性が機能する局面まで来ると、ゲームシステムのシンプルさはむしろ煩雑さを減らして「仲間のために協力する」という行為のハードルを下げるよう機能していること等々が漠然と見えてくるのだ。

ソーシャル性を一切考慮しなければ、単なるゲーム内の追加データのために数千円支払うなど馬鹿げたことだ、ガチャでお手軽に手に入る「強さ」に惑わされ耽溺しているだけだ、という論が出てくるのは至極もっとも。
しかし、これが交際費…人付き合いのための出費だとしたらどうだろうか。呑み会につきあって数千円払う。一緒にカラオケやダーツバーに行って数千円払う。それほどおかしくは思えない。
ゲーム内での強さを追い求めるにしても、自分の効率的なプレイのためだけでなく、仲間と協力するときにどれだけ自分が貢献できるか、ということを念頭に置いているか否かで、意味合いはかなり変わってくる。
このようなソーシャル性についての視点を欠いたままソーシャルゲームについて語っても、一面的で意味の薄いものにならざるをえない。そう自分は思う。






くだんの都議がしらばっくれたり無関係を装いつつヤジ擁護発言をしてたり、っていう小賢しさや小物感を発揮してる点はともかく。
根本的なところで一般的な市民感覚から乖離してると思った。

「早く結婚すればいい」なんて企業でやってるセクハラ防止講習のケーススタディに出てきそうなぐらいベタベタにOUTだし、そもそも不定期発言(ヤジ)自体、中学生でも良くないことと判ってることだろうに。議事進行を混乱させる目的の議会戦術としてもあまりに低劣。まともに議論を尽くさず泥仕合に持ち込んで有耶無耶にするなど、良識ある人間がやるべきことではない。
この「良識」っていうのが「政治家の常識」とズレまくっている、いや逆だ、「政治家の常識」が「良識」とズレまくっている、ということがよくわかる。
良識のない人間を市民の代表者として選出したいとは思えないな。

もちろん、「良識」だけ備えていても実績を残せなければ政治家としてダメ、というのも一つの見方だと思う。が、舌禍問題とかスキャンダルをすぐ起こしてバッシングされる奴が実績など残せるものなのか?今回の件ではどっちにせよダメだろう。
自民党内でもセクハラ防止講習・舌禍問題防止講習を開くべきではないのかな。

言わずと知れた有名タイトル。BOOKOFFとかでも100円エリアでは見かけない人気作だ。

題材選択が、良く知られた物事を意外な視点から切る、っていうところですでにある程度の面白さは担保されているのだが、文章のテンポのよさがそれを後押しする。
物書きの腕の見せ所は、いかに美しく独創的な文言で描写を展開するか、などではなく、必要でない描写をいかに端折るか、にあるとFKは思っている。戯れにでも小説を書く真似事をしてみれば、書くべき内容/書きたい内容に対してどの程度の文章量を割くべきかの判断が重要であることはわりとすぐにわかる。どのシーンも同じ密度で描写していっては冗長でもったりした文章になってしまうのである。
重要性の低いシーンは必要最低限の情報だけを読者に与えてスピーディーに読み進めるようにすることで、重要性の高いシーンでの細やかな描写も生きてくる。
さすがに脚本家として活躍していただけのことはあると言うべきか。

隆慶一郎の特徴的な表現「秀忠はほとんど叫んだ」中の「ほとんど~」、「宗矩は驚愕したと言っていい」中の「~と言っていい」。言い切り断定ではなく、9割程度に抑えた感じにするこの表現は、同時にこの話全体を誰かしら語り部の口から語られているかのような親しみを感じさせるものにしている。こういう不思議に親しみを感じさせるような表現はほかにもいろいろあり、とかく事実を追って淡々としたものになりがちな歴史検証ものの本作に読み物的面白さを与えるのに一役買っている。

…評論家ぶった書き方はこのへんにして、面白いです。原哲夫の絵がついてなくても。
結末は史実的に大団円となるはずもなく、ほろ苦い寂しさが漂うものですが、基本的には全編活劇調で素直に楽しめます。
漫画の影武者徳川家康とSAKONを知っていればさらに楽しめること請け合い。特に荒唐無稽なSAKONが意外といろいろな点で原作を踏まえていたあたりは感心しました。

トレーディングカードゲームもソシャゲもそうなのだが、1つのシステムにコンテンツの追加を継続的に行い、その追加コンテンツを売ることで商売を成り立たせている場合、ゲーム内でのインフレは必然的に進行する。
なぜそうなるか?といえば、前に売ったものより次に売るもののほうが魅力的に見せなければならないから。そして、その一番簡単な方法が後者を性能面で優遇することであるから。

で、ゲームシステムにはインフレ耐性が高いものと低いものがある。
TRPGでよくある戦闘システムを例にとろう。

(1)(攻撃側の命中値+6面サイコロ2個の出目)≧(防御側の回避値+6面サイコロ2個の出目)なら命中、ダメージが入る
(2)「攻撃側の命中値>0~99の乱数」なら暫定命中で回避判定に進み、「防御側の回避値>0~99の乱数」でなければ回避失敗し、ダメージが入る

(1)のほうは回避値がインフレしていっても命中値がそれに見合う値で追随すればとりあえず破綻はしない。
が、(2)のほうは命中値が100になれば必ず暫定命中し、回避値が100になれば必ず回避されてしまう。こうなるともう戦闘システムとして機能しない。

(1)はインフレ耐性が高いが、(2)はインフレ耐性が低いシステムだと言える。

そしてMtGの話になるが、誕生してから20年以上になるこのゲームは実のところインフレ耐性が高いとはいえない。
初期ライフ20。初期手札7枚。60枚デッキに4枚制限。1ターンに1枚ドロー。マリガン方法。
初期ライフ以外のルールは、乱数性にかかわるものだ。土地引きすぎ、引かなさすぎ、生物引けない除去引けないといった噛み合わなさ。その噛み合わなさが致命傷になる前に解消されるかどうかは、結局引き運であり乱数性に委ねられている。その乱数性を規定しているルール群である。
初期ライフ20のルールは相撲で言えば土俵の広さのようなもので、形勢が傾いたときに押し切られるまでどれほどの猶予があるかを規定する。上で述べた「致命傷になる前に~」の部分とも関係している。

インフレが進行しクリーチャーのパワーが上がると、この初期ライフを削りきるまでにかかる時間が短くなり、形勢が傾いたときに押し切られるまでの猶予が減少する。その一方で乱数性は変わっていない。つまり、MtGではインフレが進行するほど事故ゲーになるのであり、噛み合わないまま一方的に負けたり、その逆に事故った相手を一方的に蹂躙したりすることが増える。
かつて、クリーチャーのパワーは1マナで1、2マナ3マナで2、4マナで3だった。
それが今では1マナで2、2マナ3マナで3、4マナで5が珍しくない。
このようなインフレの進行は、事故って何もできない相手を殴り続けた場合に死ぬのが早くなる、というだけでなく、片方が2マナで止まって片方が4マナまで伸びたぐらいの状況でも、展開できている戦力に差がつきすぎてもはや何を引いても不利を覆せないという事態を容易に引き起こす。序盤に2ターン土地の伸びが止まっただけで実質的にゲームエンド。まさに事故ゲー。

まだ商売続けていくつもりなら、インフレ進行させるだけでなくこういったあたりもどうにかしてもらいたいところ。おまけ的についてくるライフゲインや占術は一応そっち方面の施策なのだろうが、まだまだ足りているとはいえない。

今、主に速攻デッキ相手のストレステスト用に使ってる、バーンじゃないスタイルの赤速攻デッキ。

「RtR-TERスライ」
<クリーチャー 23>
4 ラクドスの哄笑者
4 灰の盲信者
4 流血の家の鎖歩き
3 性急な太陽追い
4 チャンドラのフェニックス
4 モーギスの狂信者
<呪文 13>
1 ショック
4 稲妻の一撃
4 馬力充電
3 ドラゴンのマントル
1 凱旋の間
<土地 24>
22 山
2 変わり谷

<サイドボード 15>
4 マグマのしぶき
4 燃え立つ大地
4 無謀な歓楽者
3 ミジウムの迫撃砲

普通のスライより、やや回避能力重視・強化手段多め・除去少な目。
ドラゴンのマントルは飛行に着けても先制持ちに着けても強いのでいい仕事する。
馬力充電は相手が2ターン目に展開した女人像によるお気楽ブロックを封じるために重要。横に並べて超過で撃ってフィニッシュという用途でも使えるナイスカード。
モーギスの狂信者と、サイドボード後の燃え立つ大地を安定してプレイしたいので土地はスライにしては多めの24枚。そのかわり変わり谷で戦力水増ししてある。
凱旋の間は赤でも使える便利な全体強化だがレジェンダリー。自分は絶対に二枚引きたくないので1枚差しだが、プレイできるとやはり強いので2枚差すのも十分あり。
サイドボードのマグマのしぶきは消耗戦に強くてうっとうしい復活の声やザスリッドの屍術師対策。燃え立つ大地は多色デッキいじめ用。無謀な歓楽者はライフゲイン用のアーティファクトを割るのが主な仕事。エレボスの鞭、大魔術師の杖、ナイレアの弓、交易所など。
ミジウムの迫撃砲は血男爵をはじめとするタフネス4のクリーチャーを一発で落としたいときに。戦線が膠着しがちな相手なら超過でなぎ払って逆転というプランも見込める。

インタラプトをインスタントに統合したり追放領域を新設したり用語を整備したり、MtGはルール理解の容易さを向上させようといろいろ努力してきた。
いっぽうレジェンドルールとプレインズウォーカーの唯一性に関するルールの変更はルール理解度の向上とは明らかに無関係であり、せっかく手に入れたカードを有効に使うことができないというストレスフルな状況を無くすための変更だ。
レジェンドやプレインズウォーカーはこのゲームの花形として売り出してるカードだから、ガンガン使わせて俺TUEEさせて、俺TUEEされた側は悔しかったら君も買ってね!という商売戦略なのだろうと理解している。

で、そういう改良・改造を施しつつ、長時間放置されている案件がある。
表題で触れているマリガンのルールだ。

最初期のマリガンはオールランドとノーマリガンだけだった。
このことから、「土地ばっかOR土地なしだとゲームにならん」ということが最初期から認識されていたことがわかる。
それが現行のマリガン…「手札の内容がどうあれマリガンはできる、ただし手札は1枚減る」に変わったわけだが、それからもう15年以上経っている。
極端に低いマナ域におさえたデッキとかいう例外を除き、このゲームははっきりいって初期手札に土地2枚はないと話にならない。7枚中最低2枚だ。それが、マリガンすると6枚中2枚、5枚中2枚…と減っていく。マリガンすればするほどこの最低条件を満たすことは困難になる。
まして、初期手札に土地3枚はほしい重めのデッキなどであれば、初期手札の土地枚数を増やすためにマリガンするという選択肢自体がナンセンスと言える。
そもそも、ダブルマリガンした時点でほぼまともなゲームにはならない。開始した時点で2枚分ものカードアドバンテージ差がついていて、まともなバランスといえるだろうか。自分がダブルマリガンしたぶん、相手がマナフラッドやマナスクリューで壮絶に事故ってくれれば勝負になる、という期待ぐらいしかできない。事故対事故で互角の勝負。ばかげた話だ。
また、土地2枚でスタートした場合も、(低いマナ域におさえたデッキを除き)山札の上4枚に土地がなければその時点でほぼおしまいになる。序盤のうちに土地を置けないターンが2ターンも続けば、全体的にパワーレベルが上がっている今の状態だとその2ターンの間にリカバリ不能な差をつけられてしまう。
で、トリプルマリガン即投了とか一方的かつおざなりな殺戮劇が発生して、ハイもう一回といってシャッフル開始。めんどくさい。そもそもマリガンするたびのシャッフルがめんどくさい。

要は、ゲーム前準備としてシャッフルして初期手札を確定させるまでの手順に手間がかかりすぎだし、ゲームを開始してからも事故率高くてまともにゲーム楽しめないまま終わることがかなり多い。で、不完全燃焼でもう一回、でまたシャッフル。
こういう点ではMtGはちょっとありえないぐらい雑なゲームだと思う。他のいろんなアナログゲームを見渡してみても、準備の手間とプレイ時間(もしくはプレイ満足度)の手間のバランスがここまで悪いゲームはそうはない。
マリガンのルールを改良するという方策はなぜとられないのか?また、土地事故を軽減するために使える軽いライブラリ操作が近年見られないのはなぜなのか?

その答えは、「主に下の環境でコンボデッキが強くなりすぎるから」だろう。
たとえば最初の一回は手札を減らさずにマリガンできる「フリーマリガン」を正式採用したら、コンボデッキにとっては必要パーツが揃った手札がくるチャンスが増えてしまう。軽いライブラリ操作もコンボデッキがコンボパーツをかき集める助けになる。モダンで思案と定業が禁止になっているのはそれが理由なので、そもそも軽いライブラリ操作呪文を刷らないようにしはじめたのだと思われる。

だが、それは実際のところ答えにはなっていない。問題は最低限の枚数の土地が得られないとまともにゲームできないことにあるので、土地だけに限定するなど工夫の余地はいくらでもある。

それをしていないのは結局、「このゲームはもともとこういうものだから」という思考停止なのだろう。それとも、初心者が熟練者と戦って熟練者が事故負け、初心者側が勝って大喜び…なんてのを本気で思っているのだろうか。だとしたらちょっとバカにしすぎではないだろうか。

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