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電源不要系同人サークル「Paper Entertainment Factory」のアナウンスと、適当な駄文。
昨日は健康診断。場所は新宿か横浜で、東池袋在住の自分は当然前者を希望したのだがかなわず横浜へ。マジか…って感じです。
いつもより1時間半も早く家を出て、退社は定時。実に損な気分ですね。
体重は前回より少し減ってたけど相変わらずの非アルコール性脂肪肝。あと5kgぐらいは落とさなきゃダメだね。
今日はインフルエンザの予防接種。技術が優れていたのか、接種時の痛みはごく弱かった。しかしまあ、しばらく経つと赤く腫れてきて触れると痛むのは相変わらず。2年前の予防接種では触れなくても痛んだのでそれにくらべればずいぶんマシ。来年の1~2月は忙しくなることがわかっているから、間違ってもインフルエンザにかかるような事態には陥りたくないですね。むろん、他の誰かにうつすような事態にも。
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インターネット回答が一週間前に済んでいるというのに紙の調査票を送りつけてくるというこの無駄っぷり。やれやれだ。

ディーゼルエンジンとVW「不正ソフト」の仕組み

フォルクスワーゲン社が米国の排ガス規制試験をクリアするために不正ソフトを組み込んでいたことが発覚したというニュース。
これはひどい。単に数値をごまかすという域を超え、明らかに間違った方向に努力している。
「技術と信頼のドイツ工業製品」という評価に泥を塗ったフォルクスワーゲン社は、正直潰れてもおかしくないと思う。

変な夢を見て、その内容を覚えていたので書いてみる。

ゴミの収集日にゴミ袋を持って家を出てみたら、なぜかゴミの分別基準が異常に細かくなっているうえにそれぞれの収集場所がバラバラでどこに持って行けばいいかわからず、あちこち走り回って探している間に各所でゴミ収集車の作業が進行している気配で、このままでは収集が終わってしまいそうだーと焦るものの依然としてどこに捨てるべきかさっぱりわからず走り回り続ける…というもの。

夢判断だと「決定を先延ばしにしている間に選択肢が狭まっていくことに対する焦燥感の表れ」とか言われそうな夢ですな。
周囲で事態が進行しているのが音やら何やらでわかって、選択肢が消えたのが1つの収集場所からゴミが消えていることでわかって、間に合わずに捨てそびれるとかなり嫌な感じ、というのは確かにそういう状況のたとえとして相当わかりやすい部類かも。

7年前のエントリで、ヤフーとMSがアニメ・マンガ・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化を訴えるキャンペーンに賛同したという件に関して書き、それ以来自分はヤフーを不見識で低劣な売名企業として認識していたが、このたびヤフーの評価をさらに下げることになった。
新唐人テレビの報道によると、インターネット事業で中国に進出したヤフーは中共当局の求めに応じて反体制活動家の通信情報を渡していたのだという。人権抑圧に協力していたというわけだ。

これにて自分内でのヤフーの評価はめでたく最下層レベルに落ち、躊躇無くアンチヤフーを表明できるようになった。ヤフーなんぞ潰れてしまえ。

東京都道435号線沿いに唯一(と思われる)現存していた、木製の電信柱が先日撤去された。
その存在に気付いたときには「21世紀になって10年以上も経つのに、まだこんなものが使われているとは…」と驚いたものだが、撤去されてしまうと少々さびしさを覚える。
昭和時代に子供が思い描いた典型的な21世紀像は、メタリックな高層建築が建ち並び透明なチューブの中を車が走る都市の姿だが、現在の最先端の都市でさえそういうことにはなっていない。都市外縁部や郊外ではなおさらで、「いつの時代のだよ」というような旧式設備が残っていたりするものだ。
東京都道435号線が都電荒川線と交差するあたりに東池袋四丁目停留場があるのだが、そこから5分も離れていない場所に手押しポンプ式の井戸が残っているのがその一例といえるだろうか。
もっとも、人力で動かす手押しポンプは災害時に有用とのことであり侮れない。旧式の丸ポストなどは観光資源として残している自治体もあり、旧式には旧式なりの活用法もあるということである。自分の町でそういうものを探してみるのも面白いだろう。

「失敗は成功の母」という言葉があるが、では成功は何の母なのか。
成功が次の成功と失敗のどちらをもたらすかと考えれば、学習的・心理的側面でいうと失敗のほうを多くもたらしそうな気しかしない。

1つの成功体験に囚われて判断を誤るというのはよくあることだし、何より害が大きいのはある程度の成功をおさめたことで自分がひとかどの人物だと思い込み、自分が専門的な知識を有しない事柄に対しても十分な判断ができると慢心することだと思う。
リーダーシップを発揮しなければならない立場にいる人は「自分の決断を押し通す我の強さ」が必要になるため、それを元々備えているのでなければ自己暗示的に自身に刷り込んでいく。
そしてその我の強さは一歩間違うだけで容易に自己肥大につながり、自己肥大は慢心をもたらす。

革命を成功させた指導者が、その後内政において破滅的な失敗をする…というのがよい例だろう。
闘争に秀でている者が政治に秀でているとは限らない。求められる知識が大きく異なるからだ。指導者が優秀なブレーンを集めて適切に耳を傾ければよいのだが、慢心した指導者は自分の思いつきを誇大妄想的に高く評価して実行を指示してしまう。会社でもよくある話だ。

要するに、人間なにをどんなに成功したところで万能で完璧な存在になったことを意味するわけではありえないので、謙虚さを持ち続けるべきということである。「無知の知」というやつだ。
精神的な謙虚さは必ず態度に表れるので、偉そうな態度をとる人間は自らの愚かしさと矮小さを誇示しているようなものだとも言える。軽蔑してよいと思います。

うちの家の向きと窓のつき方だと、午前10時ごろから正午ごろにかけて、差し込んでくる光がまぶしくてPCの前に座っていられないような状態になる。
それで、「しかたない、どこか出かけるか…」という気分になって出かけるという次第。出不精を強制的にどうにかしてくれる要素になっているのでそちらの窓にブラインドやカーテンを取り付ける予定はない。
で、今日はPSPの中古ソフトを漁りに出かけた。かつてメガドライブの終末期にやったように、またPS2の終末期にもやったように。終末期にはソフトの評価が十分出揃っているのに加え、中古を売る側にも新しいハードの商品を置くために旧ハードのソフトを捌いてしまいたいという心理が働くため、良い物をお手ごろ価格で買えるタイミングなのである。品薄化が起こってしまうこともあるが、そういうものを捜し求めるのもまた一興。
今日買ったのは「FATE EXTRA/CCC」と「円卓の生徒 The Eternal Legend」の2本。どちらもジャンルはRPG。プレイ時間が長くなりがちなRPGは、場所を選ばずにプレイできる携帯機向けだと思う。もはや据え置き機ではほとんど見かけないトラディショナルな擬似3Dダンジョン探索RPGが、携帯機だと豊富にあるのも嬉しいところ。
前者は「FATE EXTRA」の続編。そちらもすでに買っておいてある(未プレイだが)。
後者はけっこう品薄で、あちこち回ってようやく見つけた感じ。
なお、RPGではないが「密室のサクリファイス」というソフトも探していた。しかしこれはどこにも見つからず。今日は新宿やアキバにまでは行かなかったので、次の機会にはそのへんまで足を伸ばしてみるとしますか。
え?そんなことより積みゲーを崩せって?いや、やってはいますよ?少しづつ。

あと、今日いろいろ回って気付いた変化。
・新目白通りと明治通りの交差点付近にあったゲオが閉店してた。まあ、正直立地は良くなかったしなぁ…。無理もないね。
・護国寺にあったマクドナルドがいつのまにかロッテリアになってた。スーパーとかでよくあるけど同業他社に取って代わられると元の会社が衰退した印象が強いなぁ。迷走を繰り返したうえに中国産鶏肉の問題…大丈夫かねマクドナルド。まあ、たぶんもうファーストフード店でハンバーガー食うことなんてないと思うけど。
・雑司が谷商店街にあった地元コンビニ…名前はデイリーストアだっけ?よく憶えてない。が、近くにセブンイレブンが進出してきて1~2年ぐらいで閉店していたのは知っていたが、その跡地がいつのまにか「子育て・介護支援NPO法人」とかいう謎のものに変化していた。少子高齢化対策…なのか?

雑司が谷は猫が多い土地柄。霊園の中で見かけることもしばしば。
童謡に「猫はコタツで丸くなる」というフレーズがあるが、ここのところ寒さが厳しくなってきたせいか、霊園内で積もった落ち葉の山にうずまって丸くなっていたり、墓碑と石組みの間の狭いスペースに落ち葉がたまっているところに潜り込んでいたりするのを見かけてほっこりした。
特段猫好きというほどでもない自分が和まされるぐらいだから、猫好きにとってはたまらない土地かもしれないな、雑司が谷は。

しばしば統治者側は自分達に都合がいいことを国民に信じさせやすくするためや自分達に都合の悪いことを国民が気付かなくするために愚民化政策を行うし、国内の不満を外に反らすために排外的ナショナリズムを煽る。
しかし、民主主義体制下でこの愚民化政策と排外的ナショナリズムの扇動があまりに成功しすぎるとどうなるか。

排外的ナショナリズムで叩いている対象の国と外交的に協力しなければならない事態に陥ったときに、国民の反対によってそちらに舵取りができなくなってしまうのである。
独裁体制であれば国民が何を言ったところで必要な政策を採ることができるが、まがりなりにも民主主義の体制なのであれば、政治家は民意に反することができない。事前にそのような政策の支持を表明すれば選挙で当選できないし、任期中であれば支持を失うし、どちらにしても以後政治生命を絶たれてしまう。
つまりこれは外交的な選択肢を奪われたに等しい。合理的な選択ができない国民のもとでは合理的な政治も行われない、と言ってしまえばそれだけの話だが、民主主義体制において国民の合理的思考能力がどれだけ大切であるかを痛感する。もとより、民主主義体制で想定する理想的な「市民」というのは、十分な合理的思考能力と政治への関心を持ち合わせていなければならないのである。

民主主義体制が成熟していくためには、国民をこの理想的な「市民」に近づけるための教育を進めていくことが肝要なのだが、逆に愚民化政策を行ってしまうと、一見統治者側に都合がよさそうに見えるが、結果的には不合理な選択に振り回される不安定な体制にならざるをえない。しかも一旦この状態に陥ってしまえば、自浄作用も期待できない。政治腐敗が横行し、貧富の差が増大して国民は活力を失い、一部の人間が国富を吸い上げたうえで海外に逃げ出し、それを阻止するために誰かがクーデター的な強権発動を行い、独裁体制に移行すると思われる。
もしくは、外的要因によって崩壊することになるか…。

具体的にそれがいつになるかはわからない。しかし、このままではいずれ確実に、ある成功例が巨大な国家的失敗をもたらす結果を見ることになるだろう。

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ゲーム会社勤務
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電源不要ゲーム
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