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電源不要系同人サークル「Paper Entertainment Factory」のアナウンスと、適当な駄文。
世の中にはいろんな陰謀説がある。
有名なものとしては9.11陰謀説、エイズ生物兵器説、『アポロは月に着いてない』などがある。
見るからに荒唐無稽なものも多い…。東日本大震災地震兵器説とか。

しかし、「陰謀論」とか「陰謀論者」というレッテル貼りには注意したほうがいい。
実際に歴史の背後で陰謀がめぐらされ様々な事件が引き起こされてきたという事実があるからだ。
こういった陰謀をめぐらした側にとっては、当然その陰謀を指摘されては困る。ひそやかに行うからこその陰謀なわけで。だから、陰謀を指摘する言説を「陰謀論だ!」と言って貶め、信憑性を落とさせることに十分な理由がある。
つまり、陰謀説を「陰謀論」と言って安易に切って捨てるのは、陰謀を行う側のプロパガンダにうまうまと乗せられている可能性があるというわけだ。

これは広く捉えれば結局メディアリテラシーの問題である。発信された情報は正確なものであるとは限らず、むしろ発信する側の思惑で歪められている可能性が高いと考え、さまざまな情報源からの情報を利用して多角的に物事を分析するようにしなければならない。
今日、インターネットの発達によって、さまざまな情報に触れることが可能になった。もちろんクズ情報やデマもある。しかし、かつて大手メディアにだけ許されていた情報の発信が誰にでも可能になったことの意味は大きく、陰謀を指摘する情報の発信そのものをストップさせることはいまや困難になっている。そこで、情報の信憑性を貶めようとするプロパガンダが、陰謀を守りたい勢力の主な防御手段となるのだ。
かつて、「ネット情報」といえばうさんくさいものの代表のように思われていた。しかし、今ではそういう印象はない。この印象自体、ネット情報を貶めて情報発信の独占権を維持しようとする大手メディアのプロパガンダで与えられたものであったかもしれない。この考え方もまた陰謀説ということになろうか。しかし、こういう懐疑的視点を常に持っておくことは大切である。でなければ易々とだまされるカモになるしかない。
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すっかり日が短くなって、家と駅との最短経路を通ると帰りには真っ暗になってしまうところがあるのだが。
街灯や住宅の明かりからも遠く離れた場所なので、目が暗順応するまでは足元もわからないぐらいの本当に真っ暗な状態。
そこを通っていて、曇りの日と晴れの日では曇りの日のほうが明るいことに最近気付いた。曇りの日は暗順応がどうとか考えなくても十分周囲が見通せるのだ。なぜだろうか?

考えられるのは以下の2つ。
(1)太陽が地平線に沈んでいても雲にはまだ陽の光が当たっているから
(2)地上の光が雲に反射しているから

(1)は深夜にそこを通ってみれば真偽がわかるだろう。が、夕焼けのように空の片側が明るくなり反対側が暗くなっているような感じではないから、これが理由ではなさそうに思える。
(2)は不夜城の如き都心部であることを考えればすごくありそうな話だ。

ともかく、この事実を踏まえると、定番の脅し文句である「月のない夜は背後に気をつけるんだな!」は「晴れてて月のない夜は背後に気をつけるんだな!」と言わないと正確さを欠くことになるのかも。

インフルエンザの予防接種を受けてきた。
おととしの予防接種では副反応がひどくて一日寝込んだのでイヤになって去年はパスしたが、今年はH5N1のパンデミックシミュレーションドラマをYouTubeでいくつか見たせいでガクブル状態になって受けた。
もちろんH5N1用の予防接種ではないが、していないよりしているほうがマシらしい。
今年は副反応が出ないといいなぁ。
ちなみにインフルエンザの予防接種は1回よりも2回受けたほうが効果的だそうだが、いずれにせよ接種から3ヶ月ほどしか効果が持続しないとか。だから毎年必要で、特に警戒する人は二回受けるといいらしい。どうしても病欠したくないイベントがある人は二回受けるといいかも。…受験とか。

叩かれネタを取り上げて叩かれ対象を擁護してみる企画。適当なネタがあればまたやるかも。

ネタ1)
慰安婦問題をはじめ捏造で叩かれまくってる朝日新聞ですが、朝日新聞にもいいところはあるんですよ?
ミートホープの食品偽装事件で元幹部が内部告発したときのこと。さまざまな行政機関に対して告発を行ったもののどこも全く動かず、やむなく次の手としてマスコミ各社にタレコミを行った。これを受けて取材に乗り出したのは朝日新聞だけで、ほかからは黙殺されたという。
こういう話を聞くと、他のマスコミ各社に「朝日叩いていい気になってる場合か?まず自分の襟を正せよ」と言いたくなりますね。

ネタ2)
都市伝説のレベルですが、どこかしらの医学部で解剖実習を行ったときに、切り取られた耳を学生が壁にぺたっとくっつけて「壁に耳あり」という冗談を飛ばしたところ、後日その学生が退学になったという話があります。
しかし、「不謹慎だ」と青筋立てる前に、自分の心に照らし合わせて考えてみてください。
あなたは、自分が人間の死体を解剖することができると思いますか?
絶対に無理だ、やりたくないと思う人のほうが多いでしょう。それが普通だと思います。なにしろ、特別な許可のもとで行うのでなければ死体損壊罪という犯罪になるような行為なのですから。そうでなくても、人間が五感で受け取る情報の快・不快は、それが自己の健康や平穏にどう影響するか、ということに大きく関係しており、健康や平穏を害することや、それらを強く連想させることに対して生理的な不快感を強く感じるようにできています。具体的には、ケガ、病気、死、暴力などです(モニター越しに見る場合は若干事情は異なりますが)。
そのため、死体に触れて、自らその死体をバラバラにしていくような行為は、何重にも強烈な不快感を伴うものなのです。
しかし、医学を志すものは最終的にはその不快感と折り合いをつけねばなりません。そうでないと医者にはなれないのです。
そしてこの、「笑い飛ばす」というのは、それまでの感じ方を無理にでも違う感じ方に変えなければならないときによく起こる、心の防御的反応の一種なのです。真摯に死と対峙する「不謹慎」ではないそれまでの感じ方のままでは精神が耐えられないので、反対側の不謹慎な方向に大きく振ってみることで、以後どこで心のバランスを取るべきかを探っているわけです。
ジュラシックパークの原作を書いたマイクル・クライトンの自伝で、彼が医学部で解剖実習を行ったときにも、取り出した肝臓でラグビーの真似事をしてふざけた学生がいたことが書かれています。
つまり、洋の東西を問わず別段珍しいことではなく、この精神的試練を乗り越えるために「笑い飛ばす」という反応を取らずにはいられないタイプの人がいる、ということなのです。
問題は、医学部を卒業した時点でその人がどのような医者になっているか、ではないでしょうか。その時点で人の死に対して不謹慎であれば、これは非難されてしかるべきでしょう。

近年自転車が起こす事故が増えている&自転車が加害者になったときの罰則が強化された、というような話を聞いていたので、YouTubeで自転車交通安全教育DVDを見てみた。
こういうものも動画共有サイトですぐに見られるようになったのは非常にいいことだ。やはりインターネットは人類の知の革新だな。
で、自分としては全て知っていた内容だし実践もしていたわけだけど、知ってもいないし実践もしていない自転車利用者は、インターネットを使って知識収集もしていないというのはまず疑いないところだろう。情報収集が容易な時代では、まず「情報収集しようと思うか」で明暗が分かれることになる。

DVDで繰り返し言われていたキーワードが「危険を想像する」で、死角から飛び出してきたり思わぬタイミングで発生する危険を予想しておくことが重要だ、というものだが、自分などは自転車に乗っている間は「さぁ、歩行者でも自転車でも自動車でもいい、どこからでも飛び出してこい。俺を加害者なり被害者なりにできるものなら、してみるがいいさ!いつでも挑戦を受け付ける!」という常在戦場の精神でいる。剣術の師匠が弟子に対して「道場の外であろうと、わしに隙があると見えればいつでも打ちかかってくるがよい」というようなものだ。
また違う考え方として、自転車に乗っている間を「ハプニング満載!突然何が飛び出すかわからないドッキドキの参加型イベント!」というように捉えて、それを楽しんでいるともいえる。

そういうふうに心がけている自分から見れば、信じられんほど隙だらけな自転車利用者はたくさんいる。
これは自分が歩行者だったときに被害者になりかけたケース。
雑司が谷霊園は住宅地の中にあって広い範囲を占めているので、そこを横切るように通過する人は多い。道路も通路も多く走っている。通路は霊園の外に出るところでごく短い階段になっているケースがあり、その場合階段脇に自転車が通るための狭いスロープがある。さらにその中の特定の一箇所で、階段部分の前にヒザを超えるぐらいの高さに土嚢が積み上げられている場所がある(階段と土嚢の間に排水溝があることを考えると、これはおそらく排水溝に落ち葉をはじめとするゴミが入り込むのを避けるための措置だろう)。このせいで、階段部分を歩行者が通ることが困難になっており、ほとんどの歩行者がスロープを通る。
自分もそのとき、スロープを通って霊園外に出ようとした。そのタイミングで、霊園外から電動アシスト自転車に乗った女性が高速で曲がりながら霊園内に入ってこようとしたのだ。
形としてはT字路の一種であるといえる。縦の棒が霊園から外に出る階段(右側8割幅)+スロープ(左側2割幅)。横に伸びた棒が霊園外の道路。
この女性は左側の道路から走ってきて、ほとんど減速なしで右折して霊園内に入ってきた。霊園の境界部には2m近い高さの生け垣があり、この生け垣に視線がさえぎられるため、その経路だとスロープ上の安全確認はほぼ不可能。つまり、全く見えない先に高速で右折突入したわけである。
ここまででも十分信じがたいのだが、その女性は自転車の前後に幼児を乗せていたのだ!

結局、自分が飛びのいてかわしたので事故にはならなかったが、2人の子供を乗せた状態でこんな無謀運転をするとは…と絶句したものだ。
以後、自分はそこのスロープは通っていない。面倒でも土嚢をまたぎこして階段を通っている。
このケースでは、「自分なら恐ろしすぎて絶対にできないレベルの無謀運転」だったため予想の外になってしまい、あやうく不覚を取るところだった。
皆さんも注意されたい。冗談のような無謀運転者…奴らは実在する。

地下道から地上に上がる階段にて。地下鉄に乗る前にはまだ降っていなかった雨が降り出した模様。
FKの前を行く人が傘なしで外に出て、少し離れたシャッターの下ろされた店先まで移動し、カバンから折り畳み傘を取り出した。

FKは心の中で彼を賛美した。なにげないことだが、階段の出口に渋滞を作らないように気を配り、多少雨に濡れることも厭わなかったその振る舞いは素晴らしい。
赤の他人に対して、いかなる意味においても見返りなどない状況で気配りできる人間こそ真に「気配りのできる人」というべきだと思うし、こういったことが自然にできるところにこそ洗練された知性を自分は感じるのである。

楽天マンガニュースというサイトがあると最近知った。ある事件の詳細を知りたくて検索しているときに検索候補に出てきたのだが、そこには過去の凶悪事件をマンガで扱うシリーズがあったのだ。他にも時事問題を扱うものや歴史上の出来事を扱うシリーズもある。
そして、wikipedia等で同じ事件についての文字ベースの記事と見比べてみて、マンガという表現形態の優秀性をあらためて実感した。
自分は仕事で説明用の資料を作ることが多いが、文字だけの資料は理解されにくく、口頭での補足説明を必要としがちである。図やイメージ画像を組み込んだ資料のほうがずっと理解されやすい。そして、何かを説明するために描かれたマンガというのは図やイメージ画像をふんだんに取り入れた資料と同じ、あるいはそれ以上のものなのだ。
「それ以上」と言うのは、単にマンガの登場人物がセリフで説明しているだけ、という文字だけの資料と大差ないように見えるコマですら、記憶への残りやすさにおいて優れている点にある。人間は文字だけであれば純粋に意味として記憶するしかないが、映像・音声・感触・匂いなどの五感の情報があればそれと関連付けて記憶し、その情報を取っ掛かりとして思い出すことができるのだ。

昔に比べればだいぶ減っただろうが、学研のひみつシリーズのような子供向け雑学マンガの印象から「マンガで知識を得る→子供っぽい」というイメージを持っている人もいると思われる。しかし、難解な資料を読みこなす能力を鍛えたいというのでもない限り、より理解しやすい方法を否定する意味はないだろう。どんどん利用するといいと思う。

ここ一年ほどの間に2つのストーカー事件が世の中を騒がせた。
ストーカーにはいろんなパターンがあるらしいが、振られた男がストーカーと化す事件がやはり数・深刻さともに目立っているように思う。

恋愛の一般的な効能の一つに「自己を肯定されている感覚が得られること」があると思うが、それの裏返しは自己を否定されている感覚なわけで、いろんな物事と比較して考えても精神的に相当なダメージを与える事柄だろう。

駄目もとで気軽に交際を始めて、フィーリングがあったら交際を続ける…という軽~いスタンスであれば別れてもダメージは少ないだろうが、時間を掛けてじっくり恋心を育てた片思いとかだと精神的に重すぎて、それを失うのは心の一部をもぎとられるような痛みを伴うのは必定。

そう考えてみると、恋愛における一途さ・純情さなど恋愛ストーリーの美しさを引き立てるためぐらいの価値しかなく、現実に生きていくうえではむしろ有害ではないか?と思えてならない。愛情は友情と同じく時間をかけて醸成されるもので、恋心とは別物であるとするならば、恋心こそが毒なのか。交際を申し込むきっかけにはいいかもしれないが、長い間溜め込むようなものではないということか。

また、特にバブル期前からバブル期にかけて続けられていた『恋愛至上主義』---を掲げた商業的プロパガンダ…その実態は女の物欲を煽ることで男に金を使わせようという『恋愛商業主義』にほかならない---も、恋愛せずば人にあらず的な価値観を当時の人々に植え付けたように思う。

これに嫌気がさした男は二次元に適応したりして現実の恋愛から距離を置くようになったのだが、そのような適応が出来なかった男は恋愛への満たされない想いを抱えたまま生き続けたわけで…これが世の中で発生したストーカー事件の何割かの原因の一つだと考えるのは飛躍だろうか?
中国の一人っ子政策は壮大な社会実験だと言われた。しかし社会への大規模な働きかけは全て何らかの社会実験である。大量生産大量消費を促す商業的プロパガンダが大量の肥満者を生み出し、恋愛を商業化するプロパガンダが大量のストーカーを生み出したと後世の研究者達が結論付けたとしても、自分は少しも不思議には思わない。

すき家は「ブラック企業」か?小川会長「レッテル貼りはやめてほしい」

ことここに及んだ段階で「レッテル貼りはやめてほしい」というのは驚くほど的外れですね。
とりあえずマスコミにブラック企業の話題が出るたびにすき家の名前を出されるような事態は避けたいんでしょうが、一般大衆のレベルで言えば「ブラック企業」っていうのは実態が無いのにレッテルだけが一人歩きするような性質のものでは無いと思うのですよ。

「居眠りで交通事故3回」「20キロ痩せた」すき家・従業員の悲痛な声(調査報告)


こういう実情を聞いて、こんな環境で働くのはまっぴらごめんだという感慨がブラック企業という印象を形作る、それだけのことだと思うのです。そしてこれは内部の人間が「そんな例ばっかじゃないよ!ちゃんとしてる所もあるよ!」と言っても打ち消せる話じゃない。現にブラックな形態で人を働かせていたという事実があるのなら、それが全体の1%にも満たない極めて例外的な自体だというのでもない限り、ブラック企業と評されることは避けられず、それによる悪影響も避けられない。社会的信用を失う、というのはそういうことでしょう。

それにしても、外食チェーンはほんと過酷な労働環境のようですね…。
ブラック企業筆頭のワタミをはじめ、私と個人的なかかわりがある範囲だけでも、大学の同期がマクドナルドで心身を壊して退職してたり、弟がドトール系列の店で遠方に朝5時出勤を強いられ、家から通えずにカプセルホテル暮らしを続けてたことがあったとか、聞くだにぞっとしますね。同業他社がああだから、と互いに過酷さをエスカレートさせていったのでしょうか…。

ニュースから引用。

毎日新聞 2014年07月02日 19時00分

兵庫県の野々村竜太郎県議(47)=無所属=が2013年度、東京や福岡など4カ所への日帰り交通費として、他県議と比べて突出した195回分、計 約300万円を政務活動費から支出していたことが2日までに、収支報告書の記載で分かった。具体的活動の記載がなく、例外規定を使って領収書も添付してい なかった。

 11年度と12年度にも同様に交通費として、約150回分、計約480万円を支出していた。

 野々村県議は1日の記者会見で号泣し「精力的な活動の結果で、うそや偽りはない」と明言。経路や金額の根拠については「記憶にない」などと話し、活動内容などについては説明を拒否した。(共同)

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ん~まったくもって論外。
自分が厳しく追及される立場のときに泣いてみせて心証を良くしようっていうのがそもそも、万引きした小学生レベル。
いや、小学生が泣いてみせる場合でも「二度とやらないから、反省してるから(親や学校に連絡するのだけは)許して」という戦術をとるね。悪いことはしてないと主張しつつ号泣、とか意味がわからない。

本当に何一つ恥じることがないのであれば堂々としていればいいのに、なぜ取り乱したところを見せるのか?はっきりいって、泣いてみせても誰の心証も良くならないよ。10人に10人がポーズだって理解するし、有耶無耶にしたいから泣いてみせているんだと受け取るから。

自分は必ずしも政治家に清廉潔白を要求するわけではない。特に、諸外国と渡り合うなら多少ふてぶてしいほどにしたたかであったほうが頼もしいと思っている。
そういう政治家が、権力基盤を固めるために巨額の資金提供を受けていたとか、その見返りに企業に便宜を図ったとかの汚職事件を起こすのは、効き目の強い薬の副作用のようなもので、ある程度は仕方ないかな、と許容する気持ちがある。もちろん無いにこしたことはないのだが、功績と罪過、プラスとマイナスを足し合わせて出た収支で政治家を評価するスタンスなのだ。

でも兵庫県議程度の小物ではどっちにせよダメだね。成せる功績もたかがしれてるうちに罪過が積まれるようじゃお話にならない。
とりあえず、このニュースを受け取る立場にある人は全員「号泣してみせれば乗り切れる」とタカをくくられていたわけで、怒っていい。
あとこの県議に投票した人は見る目がなかったことを反省していい。


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